わたしの身の上話など、読んでくださるあなた方からしたら読むに値しないが、よければ聞いて欲しい。
そもそも京都へ行ってしまおうと決めたのは旅立つ2週間前で、母の短期的な入院が決まったからである。わたしは家で母のケアラーとしての役割を担っている。それは今年の春先からのことで、母の眠る時間が長くなった秋の初め頃からは特に、その日々からずっと逃げたいと思っている。母の入院が必要なまでの治療はもちろん心配であるが、息を抜くチャンスであると思ってしまった。「卒論の息抜きをしようと友達に誘われたんだ」と嘘をついてひとりで京都へと逃げた。
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森見登美彦先生の作品の雰囲気を掠めたnoteに載せた出町柳での日記のような記事には書かなかったことであるが、出町座という本屋(と映画館とカフェが兼ねられた店)に一時間ばかり滞在する中で、実際手に取った本は「ケア」や家事のことばかりだった。それはどれもフェミニズム的な視点で書かれたもので、生きづらさの根に「利他になりきれない利他」が存在していることや、家事労働者(多数の場合 妻)と労働者(多数の場合 夫)の相互依存関係の指摘には少し胸を痛めた。(わたしの家庭において当てはまりすぎることであったため。)またその一角には主婦業を「リタイア」して「ひとりになる」という旨の本もあり、家事業務を担うひとの「個」がいかに保たれないか、どうしたら保てるのか という問いに、わたしが女性として、結婚や子供を望まれる現状、そこから発展するであろう未来に絶望するしかなかった。
そんな壮絶な時間から脚をさらに重くしたところで、言葉に救われるべく見つけた 好きな言葉を綴る人たちの本を購入し、夕暮れの近い鴨川へ歩いた。
橋からデルタを眺めると2時間ほど前にわたしもぴょんぴょんと跳んだ石にはしゃぐ子どもたちを見つけた。その子どもたちの笑い声は川底に映る太陽の光みたいで、すこし涙が出た。それからまたしばらく川沿いの緑に座り、川が橙とピンクのちょうど間になっていくのを観てまた泣いた。夕暮れが好きだ。その景色はただ「救い」だと思った。その光景をわたしはおもちゃのポラロイドでおさめた。その影がはっきりとする前にわたしはそれを手帳に挟み、約束していた友達に会いに向かった。
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その友達とその日の夕食を共にしたことは、思い返せばかなり わたしが救われる ことであった。本屋で言葉にされたものを読んで胸を突かれたような感覚を覚えたように、わたしはこの旅で 自分を大事にする ということをしたかった。「逃げる」というのはわたしの中でそういうことだった。おそらく、彼女と夕食の約束をしていなかったらホテル近くのコンビニかどこかで適当に夕食を済ませていただろうと思う。
思い返せば1年ほど前、母の病気の再発が分かった時わたしは摂食障害になっていた。いろんな人の経験によってレシピとして構築された一人暮らしの料理がなにもおいしいと感じられなかった。自分で作ったものを食べたいと思えず、バイト先の飲食店の賄いしか食べない日もあった。しかし何よりも、その頃インターネットを通じて仲良くなって 会ってみませんか? と約束した人との食事がどれもよい時間で、きちんとおいしいと感じながらご飯を食べる 命綱のような瞬間だった。彼女との夕食で、わたしはそれをきちんと思い出すことができた。
それと同時にわたしがわたしを甘やかすにはすきなひと(広義)の存在が、そこにあることが必要であることを思い知った。どんなに上手くそれをこなすことができたとしても、わたしにはきっとひとり旅やひとり暮らしは向いていないことを理解した。
わたしの今回の京都ひとり旅で得た一番大事な感覚はこのことであった。
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京都から実家へ帰ってきて手帳を開いて確認した鴨川の夕暮れのポラロイドは、わたしがみた景色よりも暗いものであった。後味が悪く本来なら書くまでもないことかもしれないが、帰ってきた実家にはたくさんのタスクのようなものが積まれていて、わたしの心も暗くなってしまったのを感じた。
ポラロイドの中の夕方は来たる夜が強調される。でもわたしの記憶の中で、その夕方はずっと煌めいている。今日もまたわたしは鴨川の夕方に思いを馳せている。