最近読んだミステリー小説がごくごくシンプルなフーダニットものだったので改めて考えたんだけど、私、フーダニット、ハウダニット、ホワイダニットのなかではホワイダニット要素が強いものが好きなんだなあ。
ちなみにフーダニットとかは推理小説の分類のことでウィペディア先生によると以下の通り。
「フーダニット (Whodunit = Who (had) done it)
犯人は誰なのかを推理するのに重点を置いていること。
探偵役が多数の容疑者から真犯人を探り当てる過程を重視した形式で、クローズド・サークルにおける犯人当てや、警察小説での聞き込み捜査などが当てはまる。
ハウダニット (Howdunit = How (had) done it)
どのように犯罪を成し遂げたのかを推理するのに重点を置いていること。
犯人探しではなくトリックの解明を推理する過程を重視した形式で、警察小説の犯罪捜査や法廷ものにおけるアリバイ崩し、トラベル・ミステリにおける時刻表を利用したトリックの解明などが当てはまる。
ホワイダニット (Whydunit = Why (had) done it)
なぜ犯行に至ったのかを推理するのに重点を置いていること。
犯行方法ではなく犯人像のプロファイリングや動機の解明を重視した形式で、犯罪者である主人公の内面描写を重視した犯罪心理小説や、犯人が捕まった後の精神鑑定を描く警察小説などが当てはまる。また警察小説や法廷ものには物語途中で犯人が捕まり、取り調べや裁判における動機の解明を主題とする作品もある。)
これらは相反する要素ではなく、二つもしくは全てを追求する作品もある。特に「密室もの」では、密室を構成するトリックの解明と犯行に及んだ人物の推理を平行して行う作品が多い。」(以上引用)
コロンボ刑事や古畑任三郎は最初に犯人がわかっちゃうからフーダニット要素はゼロでハウダニット要素が一番強いのかな、あんまり見たことないからわからないけど。
金田一少年は全部の要素があるけど、私は「Why」部分読むのが毎回一番楽しかった(毎回毎回、こんな悲しくて救われないことある!?って思ってたけど、それが楽しかったんだな)。コナンはWhoとHowの要素が強い印象。
東野圭吾作品もWhyが強いかなあ。あ、京極堂シリーズも全部の要素あるけどWhyの部分が命であり一番の個性出てるとこだよなあ。あれ、唯一無二すぎる。「姑獲鳥の夏」なんかWhoもHowもあってないようなものだもんなあ(そこがいい)。「羊たちの沈黙」もホワイダニットかな。
……と、いろいろ自分のミステリーもの体験を振り返ったところ、どうにも「Why」部分に魅かれることが多いなあ、と思った。
「Who」は「Why」とセットになってることが多くて「Who」の先の「Why」が知りたくて読んでるし、謎解き苦手なので「How」はもう探偵さんの謎解き待ち、という読み方をしてるので、必然的に「Why」部分が一番楽しい要素になるんですよね。そうなるとミステリ小説もその他の小説も、あんまり楽しみ方を区別せず読んでる気もしてくる。
結論:読書はいつも楽しい。