愛は食卓にある、というけれど

okurairi
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週末に料理をします。というより平日に料理しないしする元気がない。

大体日曜日の19時くらいからその日の夕飯と、次の日からの仕事に持っていくお弁当を作る。余裕があれば3~4品作るけど、最近は気力がなくて今日は電気圧力鍋でクリームシチューと、お弁当はフライパンひとつで作れるドライカレーしかできなかった。

料理自体は嫌いじゃないし、できたてのご飯はやっぱりいいなあと思うけど、料理に伴ういろんなことが苦手……というか、面倒すぎてなかなか作れない。

料理って、キッチンに立って調理することがすべてじゃなくてむしろほんの一部で、実際は日々の食材管理から始まって、在庫を生かす献立の検討、決定→スーパーへ買い出し→スーパーでの新鮮で、安い、おいしいもの選び→重い荷物を自宅へ運ぶ→調理→盛り付け→後片付け→洗い物、という遠大な日々の営みであってそのどれもが知識と経験を必要とする大事業であって、昔「愛は食卓にある」というキャッチコピー(キューピーのだったかな)もあったけど、確かに愛情がないとなかなかできないことだよなあとは思う。

うちの母は料理が上手でおいしいものをたくさん作って育ててくれた。そのことには本当に感謝しているのだけど、ただ、形が悪かったり焦げがあったり小さいおかずは必ず「これはお母さんの分」って言って、父や私たち兄妹の皿には載せなくて、私はそれが苦手だった。

「いいよお母さん、こっちを食べなよ」と、自分の分を渡そうとしても絶対受け入れてくれなくて、そのくせ「ああなんて深い母の愛!」とか呟いて、私はそれがなんとも気づまりで苦手だった。

母にとっては愛情表現だろうし「ああなんて~」って言うのもただふざけて言っていただけなんだろうけど、なんだか私にはそれが「これだけ愛していることを覚えていてね」という主張のような気がして、素直に受け取れなかった。

私がひねくれた子供だっただけかもしれないけど、なんだかこのことを思い出すたびに愛情って、祝福でもあるし呪いでもあるなあと考えてしまう。