「自分が何者か決まっていない今の状態が不安でしょうがないのに、決まってしまうことにそれ以上の恐怖を感じてしまうという人間のアンビバレンスよ。振り返ってみた時可能性や選択肢は無数にあるようで、実はなかった。偶然を積み重ねて今ここに立っているというよりは、必然に近いものを渋々受け入れて現在の状態に甘んじていると言えなくはない。それすらも他人の目から見れば途方もなく贅沢なことで有り得るのだ。」
はるか昔の日記ネタこすり続けていて申し訳ないんですが↑の文章は就活に行き詰ってた時のweb日記で、大半の文章は人に読まれることを意識して脚色したり悪ノリしたりしているんですが、この文章だけは白文字にして反転しないと読めないようにしていて人に読んでほしくもあり、読んでほしくなくもあったんだろうなあ、と思った。めんどくさい性格してるな。
はるか未来の今の私からすれば別に就職決まったって何やったって結局「何者」なのかって決まらんよ、一瞬、それらしい「何か」にはなるかもしれないけどその一瞬後に何になるかなんてわからんよ、自分の意志で変わることもあれば不可抗力で変わっちゃうこともあるよ、なんなら長年社会人やってる今ですら「何者」なのかわかってないよ、そんなの決めなくてもなんとかやっていけるよ、安心もできないけど不安になることもないよと思うけど、当時の私からしたら切実な問題だったな。
「可能性や選択肢は無数にあるようで、実はなかった」っていうのを当時よく考えてたのはなんとなく覚えてる。あの頃は私の家も、なんなら社会の雰囲気も「若いって素晴らしい! 個性尊重! チャレンジ精神! 無限の可能性!」みたいな感じだったけど、個人レベルの話だとそうでもないよね、ということをなんかいろいろ悟って、勝手に騙された気分になってたんだろうな。お疲れドンマイ。
まあ、自分が望む「何者」かになる人は、こんなことグチグチ愚痴ってる時間があればどんどん頑張ってるんで、ほんとこれ単なる愚痴なんだよなー。
でも、卒論・就活の記憶ってあんまり覚えてないんで、曲がりなりにも日記書いてくれていてよかったなーとは思ってます。愚痴みたいな感情でも、なかったことにするのは寂しいし。書き残すのってやっぱり大事だね。