うちは祖父母・母がクリスチャンで、私も小学校までは毎週日曜日に教会行ってたような子供だったんですけど、物心ついたころから「なんでアダムとイヴが知恵の実食べたことが罪になるの?」って思ってた。
なにせ教育としては「神=絶対正義」であって、親や学校では知恵や知識を身に着けることこそ大切なことと教わるし、なんで神様から知恵を身に着けることを否定されなければならないんだと。
しかもただの「あちゃーやらかしたー」ではなくて、これ一発でその後のすべての人類が罪(原罪)を背負って生まれてくるほどのどえらいもの扱いなんですよね。いくらなんでもやりすぎでは。
それでこの間母と会う機会があったから、聞いてみたんですよね、「神様は人間に知恵が不要と考えていたの?」って。クリスチャンとしてそのあたりどう整理してるのかなって。
そしたら母曰く、「あれは知恵の実を食べたことが罪なのではなくて、神の言いつけを守らなかったことが罪」だそうで、これは母の個人的解釈なのかもしれないけど、なんか余計納得できないなーと思ってしまった。でもそうか、そういや旧約聖書の神様って、割と人間を試す神様だった。
人類最大の罪の象徴が「知恵の実」で、しかも女が男をそそのかして二人で食べたって、物語としてはめちゃくちゃ魅力的だけどやっぱり永遠に腑に落ちないな。
聖書って、特に旧約の方は理不尽な話オンパレードだけど(ヨブ記とか)、子供時代の私が一番「そりゃねーよ神様」って思ったエピソードは
「預言者エリシャが坂を上っていると、子供たちが「ハゲ頭―、のぼってこーい」とからかった。エリシャが子供たちを呪うと2頭の熊が現れて、子供たち42人を殺した」
って話ですね。呪うな。
絶対42人のうちほとんどは無関係だったろうに、理不尽すぎるしクソガキの言動って3千年前も今も変わらないんだなと思う。
なんの話だこれ。