猛スピードで進む

oll_rinkrank
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限界集落や、あるいは遠くない未来にそうなるような土地に住まう人々に対して、行政の効率化のために(なかば強制的に)移住させる政策を進めようというのは、トロッコ問題に似ているように思う。

「なかば」とは書いたが、「こんなに便利になりますよ」とか「あなた方さえ応じてくれればみんなが助かります」というのも、なにやらきな臭いものを感じてしまう。たとえばそこで言われる「便利」はあなたが思う便利に過ぎないのではないだろうか、と。コンビニよりも町の商店のほうがよかったと思うひとは頭が固くて古いだけなのだろうか。便利さは幸福に関連するひとつの要素ではあるが、しかしそれだけでしかない。便利さの陰で失われたものはほんとうに無価値で取るに足らないものなのか。多数決で決めていいものだろうか。

こういう考えの底にうしろ暗いものを感じているからこそ、人は「便利」とか「みんなが助かる」などという理屈を捏造するのだろうと思う。その裏で誰かが泣くことになっても、責任を取ろうとはしない。仕方なかったのだ、と。町の公衆電話が無くなり、それにとって代わったガラケーもスマホに追いやられ、また家の固定電話は光回線へと置き換えられてゆく。それとてもNTTが行うのではない。責任を取りたくない彼らに代わって、代行業の人々が「この地区もNTTのほうで光回線に変えていく方針になりましたのでお知らせしています、工事の日程はいつがよろしいですか」と電話をかけてまわるのだ。もちろん交換する必要などないのだが、彼らも嘘は言っていない。

あるいは、昨今騒がれた、保険証をマイナンバーに移行する案件も同じようなロジックのもとに行われている。

「猛スピードで進むトロッコの先には五人の作業員がいる。あなたが即座にポイント切り替えのスイッチを押せばトロッコは支線へと進路を変え五人の作業員は助かるが、支線の先にも一人の作業員がいる」