神様(権威)を捨て、自由を「何者にも縛られないこと」ことと勘違いしてしまった現代人たちが、その呪いをいま受けているのだなあ…と、朝日新聞に載っていた森本あんり氏の記事を読んで思ったなど。何かによって圧を受けながらもそれと交渉する(戦うのではなく)ことの、その不快さの中にこそ、ほんとうの自由というものがあるのかもしれない。これはカント以来の問題なのだ。
いつも言っていることだが、人間の幸福とは、何かを線引きしたうえに成り立つものではなく、動態の中にこそ存在するように思う。本来何物でもなかったはずの世界に線を引くことによって得られたものは、いわば仮初の富であって、それそのもの(虚構)に執着するようになると、ひとはたちまち不幸に陥ってしまう。儀礼や芸術や文学というものはその問題に向き合ってきたはずなのだが、それすらも経済(仮初の富)に取り込まれてしまいつつある現代社会の中で、ひとはどこに向かっていくのだろうか。