発端はどこかの生協の話だったと思う。担当者の誤発注でロット注文(〇〇個の注文をするはずだったのを間違えて「箱」の欄にチェックしていた)してしまった食品を「助けてください」というPOPをつけて売り出したところ、SNSで拡散されて無事売り切ることができた、というものだ。ミスした担当者氏のことを「かわいそうに」と思う気持ちだけでなく、食品ロスの問題が取りざたされる昨今、賞味期限の近いものをなんとか使い切って無駄をなくそうという人たちの気持ちが、そこにはあったのかもしれない。
近隣の大型書店には地方には珍しく岩波文庫の棚がある。書店関係者以外にはあまり知られていないかもしれないが、本というのは基本的に委託販売になっている。問屋が書店へと配本した雑誌や新刊書は(ある程度の期間内に)売れなければ返品可能なものが大半であり、書店は在庫を持たずに場所だけを貸して販売手数料を得るというシステムだ。もちろん書店が独自に発注した商品については買い切りが前提なのだが、問屋が新刊やフェアで配本したものと厳密に区別することは難しいために、ほとんどの商品が委託販売の対象とされているのが現実だ(その代わり利益率は低い)。
しかし、中には返品を受け付けず、すべての商品を買い切りとして扱う出版社も存在する。岩波書店はその代表格といってもいい。
上記の書店に話を戻そう。岩波文庫の棚の前には三列ほどの平積みスペースがあるが、田舎の本屋で見るからに敷居の高そうな買い切り商品を複数冊積むことは、よほどの話題書(最近なら「君たちはどう生きるか」とか)でない限り自殺行為に等しい。にも拘わらず、そこには岩波文庫の平積みがあり、しかもそれはここ何年かずっと平積みのままなのである。もちろん売れている気配もないので、それらは教養文庫コーナーの「飾り」と化している。種明かしをするまでもなく、それは誤発注の証である。おそらくは単品で注文をするところを10冊のところにチェックを入れてしまったのだろう。棚に刺さった1冊とタワーのごとく平積みされた9冊の本塊、合わせて10冊の在庫が何年も売れずにそのままになっている。
教養系の書籍を大量に捌ける都会の大手チェーンであれば話は別だが、地方の一書店がどんなに泣いて頼もうが、岩波書店は返品を受け付けてくれない。結果として誤発注品は「死に在庫」として棚を圧迫することになる。なまじ消費期限がないのがさらに問題を深くする。捨ててしまえばロスとして計上できるが、書物は(建前上)在庫としての価値が減衰しない商品だ。誤発注したのが経営者本人でなければ、責任を負おうとする担当者はなかなかいないだろう。
こういうとき、しがない一書店員はどうしたらいいのだろうか。食品のように消費できるものであれば、件の生協のように「助けてください」と情に訴えることも可能だろう。まあそれとて、限度を超えれば他者=競合商品の販売機会を不当に奪うことになりかねないので、あまり好ましいとは思えない部分もあるのだが…
思うに、きちんとその商品を理解し、美点をアピールしていくしかないのだろう。置物として扱うのではなく、その本を読み、作者について学び、手に取ってもらえるようなPOPを作るのだ。それでも売れなければ、オーナーに相談するしかない。心ある(そして書店経営に理解のある)オーナーならば、そこまでやってダメだったらその発注のミスを咎めはしないだろうと思う。それでも責任を問われるようなら、そもそもそのオーナーが書店経営や、あるいは経営というものに向いていなかったように思う。事情が許すのであれば、転職を考える契機にするのもいいのではないか。
そして、(話が前後してしまったが)もしこれが食品の場合だろうと基本は同じだと思うのだ。情に訴える(そのアイデアが成功する)、ということに慣れてしまうと、しだいに相手(客)を「自分の利益のための手段」としてみてしまうことになる。相手に失礼なのはもちろんだが、自分もそのように扱われることを良しとすることになっている、と思う。