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oll_rinkrank
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昨今のSNSにおいてはしばしば、ある商品のCMに起用されている著名人の「過去の発言」を批判し、そのスポンサーに圧力をかけて当該著名人をCMから降板させようという運動が立ちおこることがある。例えばTwitterでは、ハッシュタグを利用してそういった情報を拡散させることが多いようだ。

これがデモ活動のように、弱者が権力者に対して団結することによって、同等の力を持とうというならばまだ話は分からないでもない。では、ここで批判を受けているその著名人が実際になんらかの権力を保持していたりするのかと言われれば、これもまたケースバイケースであり、せいぜい言えるのは「著名人であることによってその言説が影響力を持つ」という程度だろう。その著名人の言説が社会的正義に適っているのか否かという議論を抜きにして、自分の主張と合わないからという理由だけで前掲のデモ活動のような運動を行うとすれば、その批判者は、その瞬間に、批判対象とされた著名人同様に、自らもが批判されるべき権力者となってしまう。

こうしたスポンサー等に対してのデモ運動的な圧力というものがもたらすものは、「製作者側がリスクを極端に回避するという方向」に向かう社会だ。議論や交渉というステップを抜きにして、商品や企画などに関して「瞬時に」悪評が広まるとなれば、そういうリスクを避けようとするのは、なんらかの利潤を追求することが目的である企業や団体にとって当然の帰結だろう。

それが極まれば、はや生身の人間をキャストに起用することが行われなくなるだろう。リアルタイムでの配信もおそらくは廃止されてゆく。ハプニングは生じえず、安心安全が保障されたものしか世界に提供されることがなくなる。新たなチャレンジは「危険」であり、そういった芽が生じる間もなくつぶされていく。

いや、すでに日本という国ではその傾向が明らかであるようにも思う。漫画や映画などのコンテンツをみても、人気作のロングシリーズ化やあるいは過去作のリメイクが、ランキングにおけるかなりの割合を占めるようになっている。今そこに居る顧客に「ずっとカネを落とし続けてもらおう」ということに躍起になり、新たなユーザーを取り込もうとする挑戦には予算が割かれない(もちろんこれは昭和時代と比べ、将来予測がしにくくなったという社会情勢の変化も含んでのことではあろう)。

他者の行動を過度に操作しようとすれば、その歪みが別の場所に影響を及ぼしていく。仮にそのようにして社会に悪影響が及ぼされたとき、そのきっかけを作った当人だけが、不幸から逃れられるとはまったくもって限らない。人間はには(というか生物には)他者を操ろう、自分の都合のよい道具として扱おう、という本能がある。しかし同時に人間は、いや人間だけが、その本能が制限なく発揮された場合に起こりうる未来を予測する知性も獲得してきたのだ。