傲慢

oll_rinkrank
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人災は起こるべくして起こったものであり、防ぐ手立てがあったはずであるとするのは、確かに一面においてはそうだろうと思う。しかし、そこにも(かすかにでも)自身が関わっているということを忘れてしまうと、ただの自己弁護に堕するのではないかとも思う。ゆえにそれは傲慢なのだ。

ことは人災と呼ばれるような事故だけではない。巷にはびこる多種多様な犯罪もまた、そういう見地に立って考えることは可能だろう。

誰かを責めることは簡単だが、同時に自身の責任をも問うことはなかなかできることではない。そしておそらく、問題をわずかにでも改善させることは、そこに至ってようやく始められるのではないだろうか。自分は関係ない、あいつが悪かったのだ、などと言っているうちは、世界の不幸は減りはしない。誰もがSNSに接する時代にあって、その傾向はますます顕著になったと思う。減りはしないどころか、(無責任のままに)他者を責めれば責めるほど、不幸は増幅されてゆく。