福祉

oll_rinkrank
·

食肉動物の「アニマルウェルフェア」について、日本では取り組みが遅れているという記事を目にした。

日本では聞きなれないウェルフェア(welfare)という言葉を辞書で調べると、「福祉」や「幸福」「生活保護」という意味あいで使われるようだ。目にした記事では福祉の意味で用いられている。深く考えず「動物の福祉について」という趣旨で読めばいいのだろうが、その言葉に本来的に含まれる「幸福」に関してどうかと考えれば、いずれ「屠殺」される運命の動物に、はたして「幸福」などあるのかと考えてしまう。

もちろん、たとえ屠畜されると決まっているからとはいえ、記事に書かれているような「劣悪な環境」で飼育されることが、彼らにとって「良いこと」なのかと言われれば、それもまた違うように思う。しかしながら、それを動物たちへの「福祉」であるとか、あるいは彼らの「権利」を守れ、という主張には、さすがにある種の倒錯を感じざるをえない(これがペット動物についてならば、まあそういう主張もありなのかなと、まだ思えないでもないのだが…)。

思うに、なぜ「屠畜されるべく育てられている動物の環境に配慮」しなければならないのかといえば、それはまじめに自身の「命」や「死」と向き合うためであろう。

ベストセラー『サピエンス全史』の著者である歴史学者のハラリ氏の発言の中に、たしか同じような問いがあったように記憶している。それに対する彼の答えは、近未来に人間以上の知性(AI)が登場したとき、人間の知性を学習して成長するAIが、彼らより劣った存在である人間に対してどう接すると思うか想像してみよう、というようなものであった。

私たちは神なき現代の世界で、自身が万物の霊長であると、今なお錯覚しているのではないだろうか。もし仮に、外宇宙からの生命体が地球に飛来したとして、圧倒的に進んだ文明と、おそらく私たちとは全く違う倫理観を持つ彼らは、地球人に対してどう接するのだろう。彼らは、わたしたちが植物や、あるいはゴキブリなどの不快害虫に接するのと同じような感覚で、地球に降り立つのかもしれない。そしてその際には、私たちには自らの権利を主張することも、理不尽を訴えることもできないかもしれない。