『夜の日』は冒険

 夜の日を経て、生誕の日がやってくる。そうして、この世界は新しい年を迎える。

 界歴1899年、夜の日。更に厳密に言えば、午後十一時。町は静かな帳に包まれている。家々に吊り下げられたランプが、ほのかに道を照らす。この時間だからか道に人影はまばらだ。せいぜい夜遅くまで用事があったらしい人が歩いているくらいか。息を吐き出せば白く濁る。頬を撫でる風は冷たい。見上げれば丸裸の街路樹の枝が揺れているように見えた。同時に見えた空には厚く黒い雲が流れている。これから雪でも降るのだろうか。正直雪が降るまえには帰りたい、と思った。

 一年の終わりを寮の中ではなくちょっと変わった場所で過ごしたい。という願望があった。些細なものではあるが、たしかにやってみたいこと。学友にそれを言った時、みんながみんな同じ言葉を返してきた。「変わった場所って具体的にどこだよ」などと。

 言われてみて、そういえばと気づく。そうして考える。この町で言うところの変わった場所は一体どこだろうかと。町の中心部にある時計塔の中だろうか。しかしあそこは夜は出入り口が締め切られるはずだ。では東の方の商店街にあるやぐらはどうだろうか。いや、あのやぐらはいわゆる記念碑のようなものであるため登ることは禁止されている。流石に禁止されていることをやりたいとは思えない。ボツにしよう。

 それでは、と考えたところで「別に町の中じゃなくてもいいんじゃ」と言った思考に行き着く。そうだ、町の中ではなく外にしよう。なるべくすぐ戻ってくることができる場所に。そういえばその条件に合致する場所が一個だけあった気がする。町の近くにある旧時代の見張り塔。あそこは確か登るなとは言われていなかったし、そこそこの高さもある。それになんとなく特別感も味わえそうな気がする。要するに、ぴったりでは?

 そういうわけで目的地はその見張り塔となった。寮を抜け出すのは案外簡単だった。自分の部屋が一階にあることも幸いしていた。ただ問題として、窓を完全に締め切らずに外に出たため同室の学友には寒い思いをさせている可能性がある。それ以上に、抜け出したことがばれたら反省文を書かされるかもしれない。そういった危険というものはあるが、それ以上に自分のはっきりと固まった目的は魅力的だ。反省文をかくはめになったらそのときだ。

 道を照らすランタンを手に、家々に吊るされたランプの道をたどる。道すがらに家々のランプの意匠を見比べると、それぞれが特徴的な装飾をしていることに気づく。曲線が美しい装飾のランプを吊り下げている家は裕福なのだろうか。簡素なランプの家はそういうすらっとした形が好きなのだろうか。そういえば夜の町の石畳を見るのも久しぶりのような気がする。このままずっと道なりに進んでいけば、どこか別の世界に行けるんじゃないだろうか? そういった空想が頭をよぎる。自分でも自覚している。今、とてもわくわくしている。

 そうこうしているうちに、町の門までたどり着く。生誕の日の祭りの準備のためか、車や馬車の出入りが多少見られる。門がしっかりと開いているのは、そういった事情のおかげだろう。軽く頭を下げた。そのまま真っすぐ歩いて、町の外へと飛び出していく。呼び止める人はいなかった。新しい一年が始まる前の夜だ。自分みたいに浮かれている人間は一人ではないのだろう。

 さて、ここからは自分の持っている明かりだけをアテにして先を進まねばならない。目的地は暗いとはいえ高さがあるため見失うことはないだろうが、街道とはいえ明かりのない道を行くのは正直どきどきする。物語でよく見る冒険の始まりとはこういうことなのだろうかと思った。

 足元を照らすランタンが歩みにあわせて揺れる。ふと、目的地までは後どれくらいだろうかと顔をあげた。夜の帳に包まれた草原に塔がぽつんとたっている。見張り塔だ。思わず駆け出そうと思ったが思いとどまる。流石に走ってころんでその結果脱走がばれやすくなってしまうのは避けたい。それ以前にころぶと痛い。普通に痛い。軽く咳払いをして、ゆっくりと見張り塔へと近づいていく。

 近づくに連れて見張り塔の様子がはっきりと見えてきた。出入り口がぽっかりと口を開けている。もう少し近づけば、そこは塔の出入り口だった。かがめる必要はないのだが、少し身をかがめて出入り口をくぐる。自分を出迎えたのはらせん状の階段だ。少しだけ急に見える階段は、登れと言わんばかりに続いている。一段、足を乗せる。もう一段、足を乗せる。繰り返して階段を登っていく。思っていたより階段は長くつづいていたようだ。ほのかな冒険心としては嬉しいが、ほのかな明かりだけを頼りに進む暗がりでは正直怖いとも思える。もし永遠に続いている階段だったらどうしよう。脈打つ心臓を抱えながら、ふと上を見上げる。あの一点は少しだけ明るいような。つまるところ、あそこが終点だろうか。

 思った通り、そこは終点であった。それはつまり自分の冒険の目的地への到着であり、冒険の終わりである。適当な位置にハンカチを敷いて腰を下ろす。そうして周囲の風景を見回す。見渡す限りの草原が続いている。街道を行く馬車や自動車は豆粒のようだ。頬を撫でる風は相変わらず冷たいが、冒険をした身体には心地のいい冷たさだ。そういえば、と時計を見る。午後十一時の四十分を示していた。しばらくここで過ごしていれば、目的である変わった場所での年越しもできるだろう。嬉しさのあまり思わず拳を突き上げた。

 そうしてふと、空を見上げる。厚い雲は流れ去り、満点の星空が姿を見せていた。

@omiko
同人活動時の名義が萩尾みこり、普段のHNがおみこです。たまに字を書く。