2024-02-28

omnivorous
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昨日今日と「話の通じない相手」と会話をする機会が二度ほどあった。それぞれ別の相手なのだけど、二人ともとにかくこちらの言うことを理解してくれない&自分の主張ばかりを声高に言い募ってくるという感じで閉口した。どんなふうに話を進めていけばいいのかまったくわからないまま時間だけが過ぎていき、話をなんとか終えたあとの徒労感も半端ない。

私が経験した限りでは、「話の通じない相手」にはふたつのタイプがあるんじゃないかと思う。ひとつは上で書いたように自分の主張ばかりを押し付けて人の話を聞かないという場合。これはまあ割とよくあるんじゃないかと思う。そしてもうひとつは、あるイデオロギーに基づく言動が、他のそれと真っ向から対立する場合である。「朝まで生テレビ!」での議論ともいえないレベルの言い合いを思い出してもらえればよいのではないかと。先日放映された回では、山添拓と田原総一朗のやり取りがそれである。山添からすれば、あのときの田原は「まったく話の通じない相手」であっただろう。この番組では、このような不毛なやり取りが時々見受けられる。と、書いていて思ったのだけど、どちらのタイプも「人の話を聞かない」という部分は共通要素としてあるね。

中身の重要性にもよるけれど、このような相手と会話するときにはもう自説を理解してもらおうと思わないほうがいいのかもしれない。こちらの考えはちゃんと伝えましたからね? あとで聞いてないって言われても困りますよ? いいですね? という感じで、対話の相手が、それを受け入れようが受け入れまいがとにかくこちらの考えは伝えたということだけ念押ししておく。これは、あとで揉める要素を少しでも減らしておきたいからだけど、たぶん話の通じない相手に対してできることはこのくらいしかないのではなかろうか。

と、そんなことを考えながら帰宅途中の本屋で見かけたのが『話が通じない相手と話をする方法』という本である。なんとタイムリーな。サブタイトルには「哲学者が教える不可能を可能にする対話術」とある。そんな対話術があるのならぜひ知りたい。というわけで、本来買おうと思っていた本を棚に戻してこちらを買うことにしたのであった。

それにしても、今回私が遭遇した「話の通じない相手」は、私のことをどう思っているのだろうか。あちらはあちらで私のことを「話の通じない相手」だと思っているのかもしれない。そして、ひょっとしたら私のように悩み、書店でこの本を見つけて買っているかもしれない。そしてこの本から、お互いがなにか得るものがあったとしたら、そんな人が増えていくとしたら、世の中はもう少し過ごしやすいものになるのかもしれない。

なんて妄想をしてしまうほど、「話の通じない相手」との会話は心にしこりを残すのである。

@omnivorous
福岡在住。日記を書く人です。