年々、旅行の満足度が上がっているような気がする。
幼い頃は旅行ってあんまりたのしいイベントじゃなかった。移動中はじっとしていなきゃいけない。何回聞いても「もう少しで着くからね」だ。我慢してたどり着いた観光名所は何がいいのかよくわからなかったりする。旅行というのは「大人についていくこと」という色のほうが強かった。
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そんな僕も大学生になってからは自分でいろんなところへ行った。たとえば元カノとは「光る観光名所」にけっこう行った。長崎のハウステンボスのイルミネーションや北海道の氷濤まつりの氷と光のアート、京都の紅葉のライトアップ(たぶん知恩院だと思う)...
いくつか回ってわかったのだけど、僕は光る系があんまり好きじゃなかった。「映え」させるためにやっているように見えてしまうのだ。「きれいだね」と言わされているような気がして、げんなりしてしまう。
きれいな景色を見よう。おいしいものを食べよう。旅行はたのしいものだ。旅行をするとそんな脅迫観念にいつも襲われていた。僕は生粋の旅行下手だった。
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2月のはじめ、友だちに会いに行くという名目で東京と千葉に行った。計7日間の旅行、しかもちょっと変わった旅行だった。
当日までに決まっていたのは、九十九里浜をドライブするということぐらい。旅行にありがちな「〇〇するぞ/行くぞ」みたいな時間が本当に少なかった。
車のなかで「2年前にイケてるねと言っていたTOMOOがやっと来たね」みたいな話をした。助手席に乗ったやつが失恋話を始めてシリアスな空気になった。そのせいで「ガソリンスタンド寄っていい?」と聞くタイミングを逃したんだと、あとから運転席のやつがぼそっと言ってみんなで笑った。誰もいない夜の海岸に出かけ、なぜか大声でマツケンサンバを歌った。たまたま見つけた海の見えるおしゃれなハンバーガーショップで昼食をとった。
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そんなふうにして2日間の九十九里浜旅を満喫し、残りの5日間は友だちの家に何泊かした。ある日は高円寺の古着屋さん何軒かめぐった。とある日は立川の公園でサッカーとひなたぼっこをしに行った。
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公園に行った日の帰り、銭湯に寄った。親友と二人で男湯に入った。けど、ほとんど会話しなかった。彼とは好きだった女の子のことなど、なにからなにまで知って/知られてしまっている間柄。久々にあって積もる話に花を咲かせてもいいところだけど、なにも話さなかった。
だけど、こういうのも、悪くないなあ。
露天風呂からひとり夜空を見上げながら、僕はそう思った。旅の疲れがお湯に溶け出して、「あー満たされた」という感覚が体中にいきわたっていった。
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お風呂から上がったあと銭湯の休憩所でご飯を食べた。実はこの日、友だちの彼女も一緒だった。その子は友だちが上京してから出会った子なので、僕は彼女のことをよく知らない。
その彼女から「この人の昔の話が聞きたい」みたいなことを言われ、僕は高3の文化祭で撮った友だちとのツーショット写真を見せた。
「この頃と比べると、いまの二人、たるんでいるわ」
そう言われればそうだなあ。僕らも年をとっているんだという実感が湧いてくる。
けっして見どころの多い旅ではなかった。エンタメ要素はほどほどに。行く先々で感じたもの、流れゆく時間に思いをはせる。そこにある愉悦。こういうのも悪くないなあ。なんだか自分が少しおとな(おっさん?)になった気がした。