旅立ち

on_the_stomach
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結局、就職先も進学先も決まらないまま、大学4年生の僕は福井の実家で年越しを迎えた。いまは再び札幌へと戻る電車の中である。

年が明けて新調した日記帳を開くと「あけましておめでとう。いつもと変わらない楽しい元旦を過ごした。」と書いてある。帰省期間中は親戚や中高の同級生など、たくさんの人と会い、いろんな話をした。

窓の外では、故郷がぐんぐんと遠ざかっている。僕はB6サイズの日記帳には書ききれなかった(書けなかった)この正月のことを思い出していた。

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帰省して早々に、親と進路の話で揉めた。

「僕は福井に帰ってまちづくりをするんだ。具体的に何をするかはまだ決まっていない。決まるまでは、ひとまず生活できるくらいに働こうと思っている。」と僕は言った。

すると、父は

「それで自分は食っていけるかもしれないけれど、家族ができたり、老後はどうするの。せっかく大学にいる期間が1年伸びるのであれば、なにか資格でも取ったらどうだ。公務員とか学校の先生とか。」と言う。

去年からずっとこんな議論を続けていた。僕は父の発想の仕方がなんとなく気に食わない。

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元旦、正月の親戚の集まりで、だれかが僕に「大学卒業後の進路」について聞いてしまった。僕が歯切れの悪い説明をして、そこに父がよけいな補足をした。その席の大人たちは僕と父の間にできた溝をなんとなく察したような、そんな面持ちだった。

こういうとき必ず首を突っ込んでくる人がいる。僕の叔父さんだ。

「じゃあ、こうちゃんの言う『まちづくり』のロジックをいまから3分で説明してみ」

いつになくきつい口調だったからよく覚えている。叔父さんはいまやふつうの酒屋のおじさんだけど、実は文系で大学院にまで行ったちょっと変わった人。毎正月、ソクラテスの問答法のような感じで、僕の大学での学びをチェックしてくるのだった。

今年は父の加勢もあって手ごわそうだなあ。でも、この関門を抜けないと2024年が、いや、僕の人生が始まらない。気づいたら、僕は必死になって親戚一同に向かって自分の考えていたこと、やりたいことをどんどん話していた。これまで読んだ本や論文が不思議なくらい自分の言葉になって出てきているような感覚がした。大したことは言ってないと思う。けど、僕の熱意はたしかに伝わっているようだった。

周囲の大人たちの表情が心配から驚きに変わっていた。そして、あのとき僕自身も自分にびっくりしていた。だって、他人に自信を持って何かを語るなんて、久しぶりのことだったから。

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2日、野球部の同期と飲んだ。一浪の僕とちがい、仲間の大半がストレートで大学に入っている。社会人1年目か、そうでないやつもさすがに内定はもっていた。

みんなちゃんと大人になっていた。東京の会社でしっかり働いて、しっかり稼いでいた。残業って言葉がちょっとうらやましい。前まで「セックスしてぇよぉ」しか言っていなかったやつらが、「いまの彼女と結婚します」「今年から同棲します」と言っていたのには面食らった。

そんな彼らから僕は「学生さん」とか「フリーター」と呼ばれ、ひとしきりいじられた。昔から僕らのなかでは、誰かのやらかしは笑い話に、と相場が決まっている。すべてノリが解決してくれるような、なつかしくて、たのしい時間だった。

実は飲み会に来る前、彼らにも親戚に向かって話したように、自分のやりたいことを演説してみようかと思っていた。けど、ちゃんと「社会人」や「大人」になった同期を見たら、いまの自分がとてつもなく青臭く感じられて、雰囲気のままに笑うことしかできなかった。あの夜、いくら笑っても、変な羞恥心だけは微妙に残ったままだった。

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4日、高3のとき仲の良かった野郎5人で飲みに行った。僕らはこうやって年始に集まっては、互いに将来の展望を語り合う。最後は決まって「おれたちは大器晩成なんだよな」と笑い、励まし合う。みんな半分冗談半分大マジで言っている。

けど、どうだろう。この日集まった面々は司法試験に受かったやつや、すでに取締役として活躍しているやつなど、けっこう優秀なのだ。差こそあれ、それぞれ努力をして、人生の進捗を出し続けている。きっとみんなは大きな器だ。

一方、僕はなにも進んでいない。いつまでも夢を語っているだけだ。自分のせいだとわかってはいるけど、歯がゆい。「どうせ自分の器はお醤油皿ぐらいなんだ」と才能のせいにしたくなる。

そんな僕に、みんな別れ際になって「がんばろうな」と声をかけてきた。飲みの席ではあんまり言わないのだ。アルコールにまかせて軽々しく言えば、僕のルサンチマンをあおるだけだと知っているのかもしれない。そんなやさしさに僕は「ありがとう」と言いたかった。でも、それだと同級生としてのプライドがなさすぎる気もして「うん、がんばろうな」と返してしまったのだっけ。

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本当は、今年の正月は帰省しないつもりだった。進路について、親にあれこれうるさく言われるだろうし、親戚や友だちに自分の夢を語ったって誰もわかってくれやしないだろうから。いや、本当は、おとぎ話みたいな理想だけを掲げて、現実には職も学もなんにも得られていないことが恥ずかしかっただけなんだけど。

まあ実際、大半の人からほぼ予想していた通りの反応を食らった。親や親戚は僕の考えを手厳しく批判し、友だちは「くすぶってんなあ」という目で僕を見た。

けど、それだけじゃなかった。この正月、息子の進路に反対しながら、くすぶっている友への声のかけかたに戸惑いながら、みんな何かを僕に伝えようとしていた。ギリギリのところで、いやギリギリのところにあえて立ってまで、伝えようとしてくれていた。それがなんなのかはよくわからないけど、いまとてつもなく心細い気持ちになっているという事実が、僕にそう思わせる。

特急しらさぎ号に乗ってから、ずっと涙が止まらない。

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帰省をして、いろんな人と会った。

実際には「会った」なのだけど、感覚的には「現れた」「姿を現した」という方が近い。去年の僕は「自分には職も学も自信も、なんにもない」とばかり思っていた。けど、それはまちがいだった。僕という存在を支えてくれる人たちが随分とたくさんいたことに、このお正月気づかされた。

「もーどーでもいいや」と自暴自棄になっていた自分が馬鹿らしく、恥ずかしく思えてくる。まだまだ試行錯誤しても、いいじゃない。旅に出たっていいじゃない。そうして最後の最後に感謝を伝えに帰って来ようよ。

これから始まる旅の目的が決まったような気がする。僕は心のなかで地元のみんなに改めて「いってきます」と言った。