私には、父方と母方の祖母以外にもうひとりのおばあちゃんがいる。遠い親戚というわけではない。家を出て角を曲がったそのさきに住んでいるご近所さんだった。わたしと、妹のことをよくかわいがってくれる、やさしいおばあちゃん。うんと小さい時から、わたしと妹はおばあちゃんの家を時折たずねて、家でとれた旬の野菜をおすそわけしにいく。その度にお菓子を持たせてくれたり、ノートをくれることもあった。
「あなたたちのお母さんの名前ね、わたしのひとり娘と同じなの。だからね、あなたたちのお母さんのことは自分の娘みたいに思ってるし、あなたたちのことは自分の孫みたいに思ってるのよ」
その言葉を聞いて、おさないながらも「だからこんなに可愛がってくれるんだなぁ」と思っていた。
いつも笑顔で出迎えてくれるおばあちゃん。別れ際はいつもやさしく手を握ってくれて、角を曲がるまでずーっと見守ってくれていた。この前会ったときは「お姉ちゃんは今年受験だもんね。おばあちゃん、じつは毎日お地蔵さんに手を合わせてるんだよ。うまくいきますようにってお祈りしてるの」と笑顔で教えてくれた。おばあちゃんにいい報告ができるように頑張ろう、と自分を奮い立たせる日も少なくなかった。ここ数ヶ月は忙しくて会いに行けなかったけれど、合否が分かり次第すぐに伝えに行こう。そう思っていた。
お昼時にインターホンがなる。逆光で顔が見えないお客様は、おばあちゃんの名字を名乗った。けれど、シルエットが違う。背筋がピンとしている。このひとは、おばあちゃんじゃない。おばあちゃんの娘さんだった。
曰く、おばあちゃんが骨折したらしい。入院を終えてリハビリのために施設で暮らすことにしたけれど、娘さんの家に近い施設を選んだため、しばらく家を留守にするらしい。感染対策のため、家族の面会でさえ制限されている。いつ戻って来れるかも、わからない。「二藤さんのお家にはお世話になったから、かわりに挨拶してほしい」と言っていたそうだった。娘さんはおばあちゃんの伝言と、それからおばあちゃんがよくわたしたちに食べさせてくれたお菓子を持ってきてくれた。
おばあちゃんは、結構おばあちゃんだった。今は亡きわたしの曾祖母と同世代で、背中もゆるやかに曲がっていた。「なんだかね、手も震えちゃうのよ。こまっちゃうわね」そう苦笑して手のひらを見せてくれるときもあった。ここ数年は手を握るとほろほろと涙をこぼして、「また会いに来てね」と言っていた。もうずっと、薄々と理解していたけれど、まだうまく飲み込めないでいる。
いつかあの家に戻ってこないかな、とおもう。けれど同時に、戻ってこれないんだろうな、ともおもう。ちょっと躓いて、尻もちをつく。その危険度も、そこから回復することの大変さも知っている。でも、帰ってきますようにと願わずにはいられない。
また会いに行くよ、おばあちゃん。だから早く戻ってきてね。