私たる文体、それは個性

樋口 叶
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文体というのは人が出る

今更何を……とか思うかもしれないが、こういう風に毎日文章を打っていると、より深く感じるのだ。

そうだな、例えば表現に癖があったり、ちょっとしたアクセントとして普段漢字とかで書けばいい文をあえて平仮名であったり、片仮名で書いたりすると表現豊かだとか、ユニークな人だななんて思ったことはないだろうか?

例をあげるなら……

 …………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。

読んだことがある人は知っているだろうが、知らない君。君はこれを見た時に何の効果音だと思っただろうか?

あまり焦らすと本題に入れないので直ぐに言うと、これは『振り子時計の時報の音』だ。夢野久作という作家のドグラ・マグラという書物に出てきた振り子時計の時報の音の表現である。面白いだろう?簡単に表現するならば、「ブーン」とか「ゴーン」または「振り子時計の時報が響いた」と書けば読み手はどんな音か想像出来るだろうに、あえてこんなにも間を使って知らない人にも届くように音を表現したのである。

もしこのちょっと出された例で気になると思ったら、『青空文庫』というサイトで有名なドグラ・マグラはもちろん、短編の瓶詰め地獄などが読めるので軽く目を通して見るといい、本を買うのはそこで合うか判断してからで問題ない。

──そう、これが言いたかった『文の表現によって出るその人らしさ』だ。私はそれらを『文の味』などと言って食べる変人なのだが、その話はまた今度。

私たる文体

そう、それが昨日今日で目に見えてしまったのである。私のあらゆる文を読んだ人には薄々分かった人もいるかもしれないが、著者である私は今頃知ったのだ。

【「〜だ」「〜なのだ」をよく使う】

これが一番分かりやすいだろう。これらは『断言』や『過去形』を表現する。つまり私の文は無意識的に断言するような力強い文を書いている。まあここに書くのはエッセイ的なもの…過去の話ではあるので、多用してても何もおかしくはないが……何となく性格が滲み出てて悔しさがある。

これの逆は「〜と思った」とか「〜かもしれない」が凡そ逆なのだろう。こういうものにはハッキリとした逆はないので、ざっくりだ。

【語り口調が多い気がする…】

ちょっとわざとな節もあるが、私は哲学が好きなので何となく相手にも意見を聞いてしまう。自分と違う回答によって世界や知識が広がるからだ。

軽い冒頭、ちょっとした例文、本題、私の意見、答えと新しい問い。これら話の順序……にも癖があるんだろうが、まだ分からないので保留にする。

【漢数字】

これの答えは単純な話。

知ってるかは知らないが、実は読み物を書く時には『縦読みの書物には漢数字』、『横読みの書物には英数字』という簡単なルールがある。もちろん、読みやすさを考慮してのルールだ。

それがどうこれと繋がるかというと、私は横読みの書物よりも縦読みの書物の方が好きという好みの問題で、漢数字じゃないと落ち着かないというだけの話である。

探究を終えて

……と、いうのがこの話。

過去に企画交流の文で「納豆みたいにねっとりした文」と言われてショックを受けていた過去もあるが、多分それは私の『じっくりと焦らして話を進める』文がそのような表現にとれたのだろう。

まだまだ私は文の探究を続けるけども、皆もたまには振り返って自分がどんな文か、自分がどんな性格なのか考えてみるのも楽しいかもしれない。

──もし感想を伝える時間があるならば、私の文がどんな感じに思えているかをレターなり投稿ノートへのリアクションや返信なりで書いてもらえると嬉しい。

@onihime0429
素直になれない自分へ送る、素直になるちょっとした努力を。 普段はMisskeyDesignにいるよ (misskey.design/@onihime0429)