人は人を知って人になる

樋口 叶
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これを読んでいる人は知っていると思うが、私は最近この『しずかなインターネット』を書いたり、他人のを読むことにハマっている。

様々な人の記事を読んでいると、皆がSNSとかで見かけるよりも、自分の日常だとか自分の思っていることだとかを各々書き出していて、読んでいると人というものを知れて面白い。私が書いている記事もそのような気持ちで皆に読まれているのだろうか?

そのようにエッセイ的なものを漁ったり、物語を読んだり作ったり、はたまたイベントを始めて文章を楽しんだりしている私だが、実は昔は違った。

友達や親に進められた物語には首を横に振り、学校の図書室に行けば図鑑ばかりを漁って、図書カードが図鑑だらけなことに頭を抱えられた程の堅物の理系だった。なんなら「ロボット」だの「アンドロイド」だの人の心が無いと言われるほどに感情への理解が乏しく、出すことが下手だった。これは所謂私の生まれながらに持っていた、ひとつの障がいが理由にあるが……まあそんなものはネット上では『ただの変人』の肩書きでしかない、放っておこう。

そんな私であったが、難はあれど山あり谷ありでエッサホイサと人生を歩むうちに角が取れ、物語もいずれ頭の中にあるものを出したり、他人のを読むようになって、少しずつだが共感性や感情への理解が身につき人らしくなってきた。

今ではちょっとした記憶力の良さと、観察の上手さでなんとか……人のフリをした化け狐くらいには人らしいんじゃないだろうか?たとえ性分が人でなかったにしても、人生を歩んで嫌でも人を知るうちに不思議と人らしくはなるのだ。

もし自分も似たような者だというならば、無理しない程度に人生をやりながら、自分の角を取っていくといい。「馬鹿らしい」と言いながらも何となく人の世に馴染んでいつかそれっぽいものになるもんだ。

……と、軽く長生きな鬼故の説教が入ってしまったが、案外人の日常語りを読むのも悪くないという話だ。

とある有名なお話に

人という漢字は人と人が支え合って…

なんて台詞があるが、別に支え合わなくても一人の人がもう一人の人を観察するだけでも存在証明になるから人ではある。

その人を観察してやっと『人は人を知って人になる』のだ。相手を見ずに自分の存在確認は出来まい。

@onihime0429
素直になれない自分へ送る、素直になるちょっとした努力を。 普段はMisskeyDesignにいるよ (misskey.design/@onihime0429)