※この話は読んでマイナスな気持ちになるような内容の文章です。苦手な方はそっと閉じましょう。また、読んでマイナスな気分になっても著者は責任をとりません。
私は今はのんびりとMisskeyDesignというSNSにいる。しかし、そんな私にはいずれ向き合わねばならない小さくて大きな罪がある。
MisskeyDesignで私のプロフィールに貼ってある自己紹介ページを見てる人は知っていると思うが、私は極度の気分屋でやりたいことが変わってしまう性格である。しかし、そのやりたいことを忘れたことはほとんどない。
その性質故の罪ではあるのだが、今から半年ほど前。Twitterと呼ばれるSNSを作成した会社はとある人物に買収された。そのニュースを見て、先の危機を察した人物たちはそれに似たSNSをそれぞれの形で再現した。私がお世話になっているMisskeyDesignの根本でもあるMisskeyもそのひとつだ。
私は当時、その皆の不安の投稿を見ながら「じゃあ私のネット生活もぼちぼち終わって、昔のようなこじんまりと創作を続けるんだな」と思いながら来るだろう終わりを眺めていようとした。今の私の振る舞いからは思えないだろうそのマイナスな思考は、そのニュースを見たことではなく、その前から起こっていたコロナ渦の影響から来ていた積もり積もったストレスからだ。
更に遡るが、コロナ渦が始まる前、私はTwitter…ことXで様々な創作企画に参加していた。いわゆる創作企画民と呼ばれる者である。たくさんの人々と作ったキャラと相手のキャラの交流を語り、楽しく過ごしていた。しかし、その裏現実では新しい会社…今の会社に勤めることが決まり、忙しくなるから無事にこなせるかと心配していた。
そんな中訪れたのがコロナ渦。
ただでさえストレスに弱い私は、忙しさ故に創作時間が減ることと、私以外の家族が皆コロナになってしまい看病しなければならないこと、そしてたまたま起きてしまった創作企画の交流での不運が重なり、何もかもが嫌になって現実でも企画でもないところに逃げてしまったのだ。
結果、会社の他の社員が減って仕事こそ忙しく続いてるものの、私や他家族の判断ミスにより父をコロナの後遺症の肺炎で亡くし、交流での不運により一部のキャラと向き合わなくなって、企画の交流作品を2年近くも描いてないような企画夜逃げ人となり、自分の考えた作品すらまともに書けないような『創作者失格』というものを自分に押したくなる人間になった。
前置きが長くなったが、私の罪は『企画の交流放棄』だ。
その事件の後はなんとかキャラを語ることにより、大半の人を誤魔化していたが、肝心の交流相手にストレス故に作品を書かなかったり、疎遠にしてしまったりと交流企画で1番に近いだろうタブーを続けている。
たまたま知り合いの皆が始めて来たMisskeyDesignで作品を応援して、ぶろぶちゃんを好きになって、今までしてこなかった二次創作というものが色んな人に愛されて、それだけでなく少しずつ出していている小さな一次創作も愛されて……
ボロボロになっていた3年近くだったが、やっとこうしてこの文章を書いて、「やはり私はこの問題に改めて向き合わねばならない」と思う勇気…的なものがついた。
有難いことに、その交流疎遠にしてきた人たちはまだ私をブロックしたりしていない。ただのいいような捉え方でしかないが、もしかしたらまだ待っているのかもしれない。私と、私のキャラクターたちを。
待っているかもな人たちがいるならば、まだ縁が切れてないというのならば、私はひとりの人として会うべきなのだろう。
もし、ここに来た時のように私がちょっとの間ふらりと消えたら…一旦里帰りに行ったのだと思っていて欲しい。リアルの都合的にまだ余裕が無いので、早くても来年になりそうだが。
いつか私が私の好きなものをかけますように。
それまで、どれだけ歪でも何らかの形で筆をとる。