日々のちいさな充足感を求めて

水槽
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米粉パンをつくった日、通院の日、綿を買った日、クレープを食べた日、図書館でレシピ本を借りた日

固定した「仕事」がなくなって、日々と自分の行動が色濃くつながるようになった。今までは朝起きて電車に乗って職場へ行き、仕事して帰ってきてごはんたべて寝るというかんじ。電車の中でなんのPodcastを聴くかとかお昼になにを持っていくかとかでその日らしさみたいなものを見出すことはできるけど、やっぱり自分には難しかった。

生活する上でお金が必要でそのためにはなにかを生み出さないといけない。価値あるものを作るとか、自分の時間を労働力に変換するとか、考えてみると単純なのにそれだけのことがどうしてこんなにむずかしいんだろう

出社とリモートが半々くらいだったけど、出社の日は本当にただそれだけで1日が終わってしまい リモートの日は出社の日の疲れを癒すように出勤時間まで寝ているだけ。「なにかをした日」にするには体力がいる。早起きしたり夜少し起きていたりすれば時間はあったのかもしれないけどそれだけの体力が自分にはなかった。今は時間もあるし体力気力も少しずつ回復中なので、手の届く範囲でやりたいことをやっている。こういう小さな自分いたわりの行動が足りてなかったなあと気づく

近いうちに復職するけど、同じ生活は繰り返したくないのでなにか小さくやっていけたらなあ。本を読むとかフェルトちくちくするやつとか、いいかも。ぼーっとして自分の時間に入っていけて、今日はこれができたな、と充足感を得られるもの。探そう