ひーちゃんの話

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3月に亡くなった祖母の四十九日のために帰省していた。通夜の日はひどい雨だったけど、四十九日は快晴だった。いい天気だね、風が抜けてね、快晴だよね、ほんと、雲がない、とみんなで続ける。

祓いの席で、ひーちゃん(祖母の叔母、曽祖母の妹)が昔の写真を大叔母さん(祖母の妹)たちに見せながら話をするのを隣で一緒になって聞いていた。

94歳のひーちゃん。持ってきたアルバムには1940年に兄の出征の日に撮った家族写真があり、そのなかには長女であった若い頃の曽祖母の姿もあった。兄は戦死して戻ってこなかった。

7月6日、身内が亡くなり火葬場までの長い距離を大八車に棺を乗せて引いていった日。疲れ果てた姉は、帰ってきてすぐ電気もつけず窓を開けて夜風で涼をとりながら座布団を敷いて早々に眠りについた。そんな日に限ってひとつ上の姉は夜遅くまでずっとオルガンを弾いていて、それに合わせてひーちゃんは歌ったそうだ。翌7日の未明に空襲があり、みんなで逃げた。艦砲射撃もあった。ひとつ上の姉はやけどにより早くに亡くなった。

学徒動員で働いているときにも、上空をB29が通り過ぎていった。警報が鳴ると、みかん畑に掘られたただの穴に友達と身を潜めた。穴の中で四方を土に囲まれると目は自然と空を見上げた。するとB29のうしろにスーッと続く白いものがみえる。友達が「あれ、飛行機雲っていうんだよ」と教えてくれた。

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備忘として