4月の終わり

ooaaoo
·

5:40にかけたアラームでいつも通りに目を覚ましたけど、今朝は体中がまだ眠気でいっぱいだった。「あと20分だけ寝られたら幸せになれるのにー」みたいなことを、遠のいていく意識と起きなければという義務感の狭間でくよくよ考えて、5分くらいで諦めて体を起こした。

駅にむかう道の脇に苔の生えた壁があって、苔を削ってできた落書きが点々と存在している。小雨が降る日は、乾いているときには見えない往年の落書きたちがみな浮き上がってくるので見ていて楽しい。今朝はかなりの古株であるバツ丸を見ることができた。

先週の土曜日からゴールデンウィークに入って、街中もすごい人出だった。日曜日に隣駅に立ち寄ると、賑わう駅前の通路の真ん中に警官がいて物々しい雰囲気だった。通りすぎるときに様子を見ると、通路の屋根から1羽の鳩がぶら下がっていて、どうやら息絶えているようだった。1時間ほど経ってまたその場所に戻ると、鳩の下半径5メートルほどに規制線がはられていて、状況に見合わない妙にドラマチックな光景になっていた。今日バイト先のMさんに話したら「ゴールデンウィーク鳩殺人事件ね!」と言っていた。

4月から講師の仕事が始まったため、普段している本業とバイトを合わせるともうずいぶん休みがなかった。連勤最後の日はバイト後に鳩殺人事件に遭遇してから上野で行われた入管行政への抗議のデモに参加して、東京駅に開店したオーベルジーヌの場所を確認して帰宅した(カレーは買えなかった)。翌日がようやく丸1日休むことができる日で、朝から部屋中の掃除と食材の買い出しを済ませて、散歩と昼寝をした。良い風が吹いていて散歩が幸せだった。まだまだ不慣れな講師の仕事で消耗するばかりだったので、少しほっとした。

散歩の途中公園に寄ると、アイリスが咲いていた。パレスチナの国花が「ギルボア・アイリス」というギルボア山に咲くアイリスだったことを思い出す。100年以上前にイギリスの学者によって(もっと昔からそこに咲いていて人々に愛でられていただろうに)発見されたギルボア・アイリスは、パレスチナのシンボルとして詩や音楽に登場し、近年では観光資源にもなっているという。でも地図をみると、ギルボア山の大半はパレスチナ自治区の外に位置していて、インターネット上には「イスラエルで見られる花」として愛でられる様子もあった。花は人間が恣意的に引いた線をあたりまえに跨いでいく。

夜、『虎に翼』をみるために契約しているNHKオンデマンドで、『こころの時代〜宗教・人生〜 ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある』の第一話をみて、自分を肯定することの困難さを改めて感じる。社交不安障害を抱えながら講師の仕事をするのは簡単ではなくて、お守りとして処方してもらったはずの薬がどんどん無くなっていく日々をすごしているので余計にそう思う。静かに孤独に、ただ不安に身を晒して折り合いをつけるしかないとわかっていても、その課程で経験する絶望になかなか慣れない。明日のことを考えていると喉がつまる。

@ooaaoo
備忘として