コロナ禍以降、マスク生活を数年送るうちに毎日化粧をする習慣がすっかりなくなった。その間に30代に突入してあきらかに自意識が鈍くなって、他人の目より己の楽を取ることが増えた。バイトのときは日焼け止めを塗って少し粉をはたくだけ。でもいざしっかり化粧をしようとすると、どうも口角とか目のきわとか小鼻の周りとかがくすんでる。これは歳かな……でもまだ30代前半だしなんなら20代の頃より肌荒れしてないし、と思いながらごまかしごまかしやってみても、コンシーラーが必要だという現実をつきつけられて、コンシーラー探し中です。
バイト終わり、いつものすっぴんのままPLAZAとかcosme kitchenへ吸い込まれ、目につくものを手の甲やら頬やらにのせてみるもしっくりこない。(いわゆる)デパコスのエリアへ移動してまた色々試していると店員さんに声をかけられたので、使いやすいコンシーラーが欲しいと相談すると、あれよあれよと「お試し席」に座ることになり、あれよあれよと化粧水やら美容液やら下地やらを全て済ませ、コンシーラーを塗ってみせてくれた。最後に粉まではたいてもらう(これが私が使ってるものとは比べ物にならない良い品だった)。試したコンシーラー(RMKのやつです)の使い心地が良かったので購入して帰宅した。驚いたのは、私は今まであの「お試し席」に座れる人のことが羨ましくて、私は化粧もたいして好きじゃないし肩身が狭くて試したくても絶対座れないと思っていたのに、「あら、いいの?」とすんなり座れるようになっていたこと。やっぱり歳をとって自意識が鈍くなるって良いな〜としみじみした。
同僚のOさんは時々中国人観光客への文句を口にする。今日は銀座で中国人の店主が営んでる店のカニ食べ放題を中国人観光客がこぞって食べにきてるのが気に食わないと言っていた。日本で獲れたカニが食べ尽くされないか心配なのかな… 一体自分が何に嫌気がさしているのか、胸に手を当ててよくよく考えてから話そう?と内心思いながら、中国はカニ高いんですかね、大きいカニはあんまり獲れないとかですかね、中華料理食べに行きたいですね、そういや南京ダックもあるらしいですよ、南京ダックは北京ダックより小さな鶏を使ってて安くて美味しいらしいですよ、とか適当にかわしながら微塵も共感する気のない姿勢を崩さず会話を続け、適当なタイミングで話題を変えた。偏見や差別に対してもっと毅然とした態度で否定する必要があることはわかっているけど、関係性を維持するためにはこうしたささやかな抗い方になってしまう。差別への鈍感さ極まれり。ちなみにOさんのことは嫌いではない。テレビもそんな情報よりもっと大事なことのために時間を使ってくれ。
Tさんと打ち合わせをしていたら「まだわからないかもしれないけどね、歳をとるとね、社会に除け者にされてるように感じるんだよ。字が小さくて読めないとか、そんなことで自分という存在が想定されてないことに落ち込むの。人生にも先が見えてきてさ、ああ私の人生ってなんだったんだろうとか思っちゃうわけ。でも何かを変えるための時間も体力もない。衝動的に離婚したり転職したりしても、もう新しい環境に順応する体力もないから大変なの。上手くいかないの。それで落ち込んだら戻れないんだよ。落ち込んだときに気を紛らわすにも体力が必要でしょ。もうびっくりするくらい体力なくなるから、落ち込んだらそのままずーっと落ちていって、もう死んじゃうんだよね」と言っていた。要約です。
最近は会社の仕事(ブックデザイン)に中高年がターゲット層になる本が増えてきた。自然と文字を大きく、行間もレイアウトも余白をとって読みやすくすることを求められる。以前はこんな大きな文字でいいの?と心配していたけど今はすっかり慣れた。除け者をつくらないように、本もできるかぎりのユニバーサルデザインを目指したほうが良いんだろう。字が大きくて読みやすい!(©︎TRICK)の気持ちでいたい。