私は、自分がいない方がおさまりがよいなと思う時、あっという間にその場から去ってしまう傾向がある。この、おさまりがよい、というのがなかなか説明がし辛いのだが、他に形容のしようがないのでこの言葉を使っている。自分がいない方がおさまりがよいな。
形容のしようはないが、雰囲気で表現はできる。自分がいない方がおさまりがよいな、というのは、その環境を自分が神の視点で見たとき、ものすごく心地よい状態で事が回っている感じが想像できること、それが「自分がいない方がおさまりがよい」という感じだ。
その場にいる人の事が嫌いであるとかそういうことではないし、かといってその時どのような感情なのかについての説明が難しいから、一切説明はしない。だから、突然去られた側は「なぜ?私何かした?」と思ってしまうに違いない。でもまあ、その感情も一瞬で、そのうち私のことは忘れるでしょう、と思っている。なにせ、自分がいない方がおさまりがよいからね。
しかし先日、「異物感がある方が生きている感じがするから、突然いなくならないでね」と友人に言われたのはなかなか良い経験だった。その言葉から、私は社会の調和を優先しているが、友人は自分自身の人生をしっかりと味わって、逃げてない感じがして気持ちよかった。
かといってじゃあ私は逃げているのか?というとそうでもない。たぶん、自分がいてもおさまりが良い場所を永遠に探し続けているんでしょうね。もしくは、そういう場所を作ろうとしているのか。