おじさんでもおばさんでもない朝

orange7
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会社で尊敬している上司からしずかなインターネットを教えてもらった。

平成元年生まれのゲイの自分が、思いを吐露するにはちょうど良いんじゃないかと思ってはじめて見た。

はじめに伝えておくと僕は令和らしいゲイだと思う。

各種SNSでも実名検索されてもカミングアウトしているから分かってしまうし、だからこそ、会社にも友人にも家族全てに自分のことを伝えている。去年は、おじいちゃんおばあちゃんにも母親伝手に伝わって、大きく混乱していたみたいだけど…縁は切れずに楽しく正月にフグ鍋を囲んだからきっと大丈夫。

昭和らしくいえば、アバンギャルドなんていうところ?

平成生まれのゲイの友達の中には、勇気あるねって言ってもらえることもあれば、それが本当に親の幸せに繋がるの?と言われることもある。そして、僕はその言葉たちを全て飲み込める年齢になったと思う。30年以上も生きているんだから、そう思う感覚があっても当然だよね。とやっと思える。

自分らしくというメッセージは理解されなきゃいけないよ!と怒ってくれる友達もいるけど、その気持ちに感謝しながらもそういう感覚もあるよねと飲み込める。穏やかと言ってしまえばそうなんだけど、それで果たしてよかったかどうかはまだ分からない。

情熱の炎が小さくなっていく寂しさを覚えるけれど、僕には小さい頃からの夢がある。

好きな人と一緒に生活すること。

ベランダで飲むコーヒーはやっぱり美味しいねなんていう他愛もない会話に幸せを感じること。僕はまだそれを諦めたくない。

今年で34歳になった。ゲイとしては売れるギリギリラインって呼ぶ人もいる。

自分が、おじさんだとは思いたくない抗う年頃。

ましてや、私、おばさんだから。なんて、自虐のミルフィーユみたいな言葉でひと笑いとるのはもっと癪だ。

プライドがあることと、自分を受け入れらないことは違うけど、まだそこらへんを彷徨って良いのなら、僕は自分なりにまだもがこうと思う。

リモートワークが始まる少し前の時間。ベランダでカフェオレを飲みながら、SalyuのHalfwayを聴いてまどろむそんな朝だった。