震災の日のこと

orangena
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東日本大震災から13年。13年があっという間に感じる。

被災者の方の中には思い出したくない方もいると思う。その気持ちは尊重したい。ただ、あの時の出来事を知らない世代になっていった時に、同じことを繰り返してほしくないと思うので、ひっそりと、直接的な甚大な被害ではないけれど、関東で経験した事を書いておこうと思う。

2011年3月11日、私は東京の番組制作会社にいた。14時46分、大きな揺れが始まり、ファイルキャビネットが揺さぶられて中のファイルが飛び出し、隣席の上司の山積みの書類が雪崩を起こして床を埋めた。これはまずい…!震源はとんでもないことになっているのでは……テレビは常時流れている職場だったので、ニュースで流れる東北の津波の様子を見つめて、みんな茫然となった。

通路を埋め尽くした上司の書類を片付け終わった頃、上司が戻ってきた。「新宿にいたんだけど、高層ビルが嘘みたいにうねってたよ。」あなたの紙のビルは崩壊してエラいことになってましたけどね…

1~2時間ほどして社員が続々と帰宅し始めた。でも私の自宅は電車で1時間半かかる。到底歩いてなど帰れない。会社に泊まることを決めた。会議室で毛布を貸し出すというので借りに行ったら、もう1枚も残っていなかった。総務の社員さんが買ってきた水を1本渡してくれて、「コンビニの棚は何もなくなってたから、夕飯はテレビ局の食堂に行った方がいいよ。」と教えてくれた。

近くのテレビ局に夕飯を食べに向かうと、道路は大渋滞。歩道は歩いて帰宅する人で溢れかえっていた。食堂で食べているとテレビから緊急地震速報が流れて揺れが起こる度、緊張感が走って皆画面を眺めた。

夕飯を終えて戻ると徒歩帰宅したはずの隣の部署の男性が戻ってきていた。「行く時に道路にいたバスがまだ同じところにいたよ。」道路はまったく動いていなかった。

フロアで泊まる女性は私だけで、「寝るのにこの会議室使ってください。」と一室を貸してくれた。椅子を並べて横になった。余震が続いて熟睡できないし、目を開けたら向こうの方にあったはずのホワイトボードが揺れで私の真横に来ていて、ぎょっとした。

朝になって電車は遅延がありながらも動いていたので、始発の電車に乗った。大半の人が徒歩帰宅していたので、電車は空いていた。家に着くと週末なので自分のベッドで少し落ち着いて眠ることができた。

徒歩帰宅した人達は渋滞した人の列を何時間もかけて帰宅して大変だったという。一刻も早く家に帰って家族の安否を確認したいという気持ちもわかる。ただ、余震で歩道に物が落下してきたりする危険もあるので、判断が難しい。

数日後、近所に住んでいたAさんが震災で亡くなったと聞いた。

Aさんは長年勤めた会社のリストラにあい、宮城県の実家である寺の住職となっていた。津波警報が鳴り、お嫁さんと逃げていたのに、過去帳(ご先祖様の情報が書かれた帳面)を取りに戻って津波にのまれた。お嫁さん(看護師)は津波に追い付かれて一晩中電柱にしがみついて水が引くのを待ってなんとか難を逃れ、その後避難所で看護活動をしていたと……お嫁さんがこちらの家に来ていた時に近所で会って話してくれた。かける言葉がなかった。

少し経って関西の親戚の家に行くことがあって、震災の話になった。話していて他人事というか、あぁ、起きた事の実感はないんだ……と感覚の乖離を感じてしまった。これはきっと私が東北の人達が経験した事を関東にいた私は本当には分かっていないのだろうと思った。

震災は経験しないに越したことはない。けれど日本全国どこにいてもその危険はあって、それを軽視して同じ事を繰り返してほしくない。次の世代がひとりでも無事であってほしい。