2024.3.30土
用事でしごとばに少し行く。
わたしの部署は、来客があるので、独立した部屋と資料室を与えられている。
安心できるところではないと、足が向かない。
しごとの机を整理しながら考える。
どうも私は、子どもの頃から、色んな場所にあちこち行くよりも同じところに行ったり、たくさんあるメニューのなかでも同じメニューを選んだり…そういう自らが安心できるように、繰り返しをする傾向がある気がする。
歌会の前は同じ店のカレーを食べる、とか。
こだわり、なのだと思いつつ、疲れる時もある。
今でもよく覚えているけれど、
小さな頃から通ってた洋食屋さんが忽然と居酒屋に変わってしまったことがあって、高校受験が終わったら食べに行こうとしていた私はひどくがっかりした。何回も食べた味に安心していたから、しゅんとなった。
同じものを食べる、同じ場所に行く、同じものを選ぶ…結構、自閉的部分がある。安心のためであるから、と認識しつつ、自分でめんどくさいなあ、と思うこともある。他にも選択肢があるから、たまにカレーがハヤシライスでも良いのに…と思う。
だから、春のさまざまに変化していくことに負荷を感じる。ゆるやかな、だと、良いけれど、急激だと、疲れる。
今日の暑さもおかしくて、春になったね、というよりも季節がパニックになったみたいだと思った。気候変動だな、と思う。
しごとでひとつの集団を見ているときも、そこが安心できる場所かどうか、苦心していた。
勤務が夜だったとき、
いつも行くスーパーに60代の女性のレジの方がいて、こんなにも夜なのに昼間と同じ作法でレジを通してくれて、なんだかそこだけ明るかった。
仕事終わりの暗い道を1時間かけて運転して、家の近所のスーパーで、静かな夜の買い物をする時、レジにその方が働いているのを見るとほっとした。
その頃は複雑なしんどさのある仕事場だったから、夜更けに自分以外にも同じように働いている人を見るだけでもなんだか安心していたのかもしれない。
今は昼の勤務だから、その人のレジにあたることは少ない。
だけれども、時々、夜のスーパーに行くと、レジをされていて、私もしっかり働かないとなあ、という思いになる。
職場の近所にも同じ系列の店舗があるけれど、いつもそこに行く理由はそれなのだと思う。
今日は家事をしながら、ようやく届くマイナンバーカードを待つ夜。