2024.4.7日
ゆっくり起きて家の片付けをする。珈琲を飲みながらNHKプラスでNHK俳句を鑑賞。
俳句はゆるやかに楽しんでいる感じで、コロナ禍前は東京の句会に行っていたこともある(今は時々オンライン句会に参加)。句会のあとに美味しいものを食べに連れて行ってもらったりした記憶から、俳人は美味しいものに詳しいイメージ。
堀田季何さんが、鮮やかに俳句について話しているのをふむふむ聞く。
短歌は愛憎だし、詩は伴走の友…だけれど、俳句はこうして楽しむことができる位置にいる。ありがたいことだ。純粋に楽しめる領域を残しておきたい。
NHK俳句の冊子も買っておいたので、眺める(実家の母も買っていたから2冊!)
家事をしながらNHKのサイトの文学国語のページをひらき、山田詠美「ひよこの眼」の回を見たり、暮しの手帖を読んだりしていると昼になった。
夕方から実家に出かけて筍御飯と筍の天ぷらなどを食べる。週に一度くらい実家に行って、晩御飯。
父親がぼんやりしながらテレビを見ていて、血は繋がっていないけれど父だなあ、と思う。
自分が歳をとることは親も歳をとることで、時には互いの一言で心がぎざぎざして言い合いにもなってきたけれど、いつでもご飯を食べることは大事だと思う。今日の筍ごはんも薄味だったけれど、食べることは記憶の共有なのだと思う。
私の歳だと、家族をつくったり、つくらなかったり、子どもがいたり、いなかったり、働きかたもそれぞれだったりする。25才くらいまではわりと似た感じがそれぞれにどこかあった気もする。今の年齢になると本当にそれぞれの生活をしているという思いになる。
友達たちは、時々連絡が来たり、年賀状が来たりもするし、ずっと会い続けている友達もいる。
色んな仕事があって、それぞれの状況があるから、何かしら皆しんどいこと、楽しいことがあるのだと思う。どの仕事がいちばん大変…ということはない…と思いつつ、どの仕事も大変だ…と両方いっぺんに思う。一度に両方浮かんでくる考え。ひとつには決められない。子育てや介護、自分の身体の変化…それに応じて生きていくしかないのだろう。私の場合は、今は、しごとと詩歌と健康維持だと思う。
想像力を持たねば…と思いつつ、自分のことで手一杯のこともあって、明日からまた忙しくなるのに恐れをなしている夜だったりする。楽できるところは積極的に楽も良し、の心でいよう。
季節の変わり目にロクなことをしない自分に疲れ果てることがあって、人生とは自分との付き合い…という禅問答のようなことを思いはじめる。
川のところが桜満開で、ゆっくり車で走った。見えすぎないところが良い。
今日は嬉しいこともあった。歌集批評会の申し込みをすませ、歌集を二冊買った。
そのうちに間違へさへも忘れゆく日もあるだらう 桜並木見ゆ