2024.5.6月
連休の終わり。前半は外でしごと、後半は京都。
休むことが上手い方ではないな、と思う。時間的拘束が長いしごとについていて、区切りを自分でつける術を心得ていないと上手く休めない。それでも休む方策を徐々にストックしつつはある。
今回の連休はわりと上手く休みにいった方だと思う。
歌会&句会に出て、本屋さんをめぐり…
一軒目は昨日の歌会でおすすめされたので、泊まってたところからご近所だし行ってみた。予想よりも歌集が多くて、欲しかった一冊(中村森『太陽帆船』)を手に取る。歌会のあとに寄ることがこれからもあると思う。
鴨川を少し歩いて京阪七条へ。叡電に乗って一乗寺まで。
見たかった版画の展示に行けて良かった。彫りの表現の奥深さ、俳句がもたらすもの。そして、ラフスケッチのファイルを見ることができて、作家さんの一冊の本を作る心意気のすごさに触れて、ますます作品が好きになった。この展示がされている本屋さんは見れば見るほど欲しいものが出てくるので自制の心を持った。でも、益田ミリさんの『今日の人生1』は購入。
(ひとつ後悔。お店のレジ横にガザ侵攻反対に関するワッペンがあって、それを手に入れておけば良かった。)
京都からの帰り、いつもはJRか阪急に乗るところを、京阪に乗ってみた。少し見える風景が違う。
今朝読み終えた一冊、土門蘭『死ぬまで生きる日記』のことが頭を過ぎる。随分前から、いつもの本屋さんで見かけて一度手に取ってみた時は今じゃないなあ、と思って棚に戻したことがあった。でも、春先からこの日記めいたものを書き始めたり、何かしら自分のなかで見つめるものがあったりで、先月買ってみた。再入荷のタイミングで。読むタイミングが来るのは、本と私の待ち合わせみたいなものだろうか。共感できるところがわりとあった。特に「書くこと」についてのところ。
目が覚めると気持ちに翳りがある日が昔からあって、その時の暗さみたいなものを飼っている自覚がある。それに覆われてしまわないように、しているというか。ここに書くことは整理のためでもある。
そういう「書くこと」で落ち着くひとが自分の他にも世の中には結構いるということを知ることが出来たのが良かった。「ぼんやりとした不安」とかなんとなくわかる、と思ってきた。
京阪の電車は快適で、本がすらすら読めた。
最近、本屋さん巡りをぼちぼちやってみて、改めて思うことはいつも行く本屋さんが安心的場所であること。子どもの発達において、母親が「安全基地」であることで、子どもが自由に世界を広げられるように。
余白があって、ぼんやりと眺めていると、必要なものがわかる感じの棚、のように思える。
安全基地…。
色々行ってみて、でもやっぱり、落ち着くところに帰りたくなるというか。
「帰りたくなる」は、キーワードだと思う。
わりと今までは個性的な本があって、刺激を求めて行っていると思ってきたが、最近はそうじゃない気がしてる。すべてを、言語化しなくても、まあ良いんだけど、とも思う。なんとなく、ぼんやりして、のんびりして、安心してる、ということで良い。
ゆらゆら考えていたら、乗り換えの駅に着いた。
三宮あたりの景色を見ると帰ってきたなあ、と思う。難民や、紛争地のひとびとは、帰りたい場所のことをずっと考えているのだと思う。
帰りたい場所に帰ることができるのが、平和なのだろう。
そして、好きな本が買えることが、働いていて良かったことだと思う。
曇り日の鴨川しづか帰りたい場所のひとつに書店があつて
ぐんぐんと緑を抜けてゆく電車「く」の字で帰る大阪までを
侵攻のニュースにとまる指がありno war 雨の中の躑躅よ