2024.4.2火
新年度2日目。ゆるやかな1日。非常勤の方たちと打ち合わせしたり、連絡したり。
通勤の川沿いのあたり、昨日ひとつだけ咲いていたのに、今日はもうあちらこちらで咲いていた。
ひとつが小さく咲いていたら、何となく応援したくなる。でも、こんなに咲き誇るようにひらいていると、ただそうなのか、と思うだけだ。
何かにならなくても良いのに、何かになろうとして無理をしたり、
それから、
何かしんどさをどこかで抱えているひとたちを無理して応援しても、
何もきちんと伝わっていなければ、どうしようもないんじゃないかという気持ちになり始めている。
応援とは?何か。
新入の職員のひとのスーツを見ながら、肩が凝るだろうなぁ…と思った。
自分をふりかえると、全く初めての土地で働くことになったから、ともかく何も考えられなかった。考えられなかった、という、記憶がある。
いきなり、1日に50分を何回か喋り続けるような日々を繰り返し、慣れないことを1人でまかされ、何もかもくたくただったことしか覚えていない。
でも、何か、助けられたことも覚えている。
自分を何かに見せようとするような余裕はなくて、与えられた役割をきちんと受け取り、ぎこちなく誠意を持ってやるしかなかった。そうすると手伝ってもらえたことがある。
すべて上手くいくことなんて、ない。
午後、新しい人に輪転機のところで声をかけられる。本を読んだことがなくて、今年から読んでみようと思うので、本の借り方を知りたいという。私を本の係と間違えたらしい。しごとばの本のプロフェッショナルを紹介し、本をおすすめする。
読もうとする人がいる、という、ことは、案外と当たり前のことではない…
と、彼の話を聞いていて思った。
私は本好きで、その上、欲しい本があると、きらっと何かがして、熱量が高くなる。手に入れたくなる。でも、そういう人は、全人口のうちでは、今の時代少ないのかも?電子書籍に慣れたり、本にかける時間がなかったり。
きらっと光るもの。光る瞬間。
でも、満開の桜みたいに眩しすぎるのは苦しくなる。光も、強すぎると、苦しくなる。
しごとも、短歌も、続けてきたなかで、小さな声を大事にしていくことがポリシーになってきた。
その地点から、声を聴くのが良いのかもしれない。
詠みたい気持ちが少し、ふっと湧く時の量感。