この後春キャベツを。

ori_nishin
·

2024.4.9火

扉を開けるとひんやりとした空気が首元にきた。昨夜の雨は上がっていたけれど、今日は寒い。気温差には気をつけること。

久しぶりに仕事用のボリュームの声を出す。

枕草子の「すさまじきもの」のところ。すさまじきもの…なんだろう?自分にとって、興冷めなこと… 。例えば、雰囲気はいいカフェなのにご飯が美味しくないとか?(本来いちばん大事なところが薄いということ)。言動が一致しないひとの自分の甘さを見てしまうところとか?…じっくり考えたら、現代版すさまじきものは色々あるだろうけれど…こうして考えてみると、きっぱり言い切るところに、やはり清少納言は観察眼がある。

もの、ということで…

最近、どうも、しっくりきていない言葉に、「自分を大事にする」というものがある。こないだ雑誌でこの言葉をふまえたような特集があったりして、つい読んでしまった。私も、自分は大事だし、不条理はうまくかわしたいし、ゆるやかに日々を過ごしたい。

ただ、いつもどこかで、周囲の人々は?という気持ちになる。そんなん考えんでもいいのかもしれないけれど、わりと考える。組織で働いていると、今日しんどいから休む、というのはお互いさまのところがあって、フォローし合う。でも、それが、ある人だけ繰り返され続けたら?フォローする側の人たちが今度は順に疲れてしまう。自分を大事にした後のことを引き受けている人がいる…というのを、しごとの年数を重ねるにつれ思ったりするようになった。仕事場のなかでのしごとの偏りを見るたびに。

何かを足したり、引いたりしたら、しっくりする言葉なのだろうか?

夜の勤務のとき、ある時もう疲れ果て、周りはすべて敵なのか?くらいの環境で、2日ほど起き上がれず急な休みをとったことがある。その時もフォローはあったけれど、後から自分で立て直したりして、結局いちばん頼れるのは自分だった。その時によく「自分を大事にする」というのを思っていた。でも、これは振り返ると、あんまり効力がある言葉ではなく、それよりも「自分と一生付き合えるのは自分だけだ、ダメな自分も良し…」くらいのほうが良かったと思う。わりと唯我独尊みたいなところがあるけれど、心が底にならないようにするためにはこれくらいが良い。

「自分を大事にせな…」と思いはじめる前に、ゆっくり寝て、心が底につかないゆるやかな暮らしを維持するのが自分にも周囲にも配慮があると思う。昼勤務の忙しさで、無になりかけないように、日々気をつけている。

終わりがないといえばない仕事をしている自覚が夜勤務の時にはなかった。今はある。でも、忘れそうになる。

今日の気温差もじわっと心にきていて、適度にゆるやかにいる意識でやり過ごしている。夕飯は作らず、スーパーのお寿司など食べた。それに、昼間は「虎に翼」の話を導入に、大勢のひとに進路の話などをしたから今日はエネルギーが少ないので心はどこかふわふわしていて、着地していない。大勢のひとに言葉をおろすのは大変である。

自分を大事に…と思い始めたら、その時点でだいぶ疲れているサインなのでは、と自分のことを思い、キリがいいとこで仕事を終わらせて、好きな場所に行き、適当に自分を甘やかし、なんなら、悪口のひとつふたつでも言うのも健康かも…と、私は私をふりかえって、この言葉が浮かんできたら自分に警戒する。

そして、誰にでも、自分を大事に、と言いながら、周囲から大事にされたいという気持ちが一番あるのだと思う。

私もあなたも皆だいじにされる存在だ。

春キャベツざくざく刻み強火でも今日も泣かない私が大事

@ori_nishin
日々の余白。