2024.4.4木
昨夜は寝落ちしてしまい、明け方早く目が覚める。二度寝もせず、お米を炊いたり、持ち帰りのしごとを見たりした。
今日はわりと快適な1日だった。
この時期、部署のしごとが多くて勤務時間中はそれを先にやるので、じぶんの専門のしごとの準備の時間は後になってしまう。報告やらなんやらの書類を作り、会議に出たりしていると、あっという間に時間が過ぎる。本格的に業務が始まると、プラス1時間半くらいは毎日残業で、土日も引率などの繁忙期はほぼ休みがない。平日の遅さは我慢できるけれど、土日はしっかり休みが欲しいとつくづく思う。
今日は午前中にふたつ会議があって、気づいたらお昼になっていた。
伝達をするというのは、しごとのときは割とスマートにできる方だと思う。ぼんやりしていなければ。
でも、ふだんはそうでもない。もともと喋るのが苦手な子どもだったので、名残だと思う。言葉の難しさを、いつも思う。
結局は、使う人同士に、信頼関係があるかどうかなのだと思う。信頼までいかなくとも、誤差がひどくない範囲での、ゆるやかな関係のなかでの言葉のやりとり、くらいが出来ると日々は良い。
人によっては受け取り方が違っていて、それは当たり前なのだけれど、180度くらい違うと、もはや自分の言葉がなんなのだろう…と思う羽目になる。やれやれ…という感じ。拙い自分の言葉に辟易する日もある。
でも、ふっと、そんなに苦しまなくてもいいのかもしれない。そういう受け取り方の人はそうなのだから、そこで、全然ちゃうねん!と申し立てても、疲れるだけだし。そういうことに費やす気力はもともとあまりない…ああ、そうなのね、と遠のく何かが生じる。
多くの人の中で働いていると、それぞれの主張の癖があって、私にも多分ある。自分の主張の像については、ことあるごとに考えるのだけど、いつもくっきりとはしない。
答えのないことを考えるのが多い人生だと思う。
最近、白湯が美味しく思うようになった。苺と白湯の組み合わせ。薬膳の本も久しぶりに読む。