2024.4.8月
今日は式典が午前、午後にあり、その間に準備をした。2階から幕を隙間なく取り付ける係。
今日、部署のひとは調子がよろしくなさそうで、ため息をついたりしている。うちの業種の場合、リハビリ期間ののちは元の仕事内容に戻るしかないので、なんとも言いようがない…
こういう時の声掛けについて悩むが、何も言わないことがベストだというのが現時点での解だと思ってる。
頑張って下さい、も、辛いですね、も私は言うことはない。そう言われても、たぶん辛い時は辛いし、何か的外れなことを言われたらいたたまれない気持ちになる場合もある。
じっと野生の獣が傷を癒すように時をかけるか、信頼のおける少人数にぽそっと言ってみるか、と、自分に置き換えて考えてみる。
準備作業を、こっちでやっときますから、と言うのは簡単だけど、それをやると、余計に「出来ない」ことの学習が積み重ねられるのではないか。本当に無理な時は無理だけど、その見極めみたいなことがある。
出来ないことをどう工夫するか、を、ずっと考えてきたような気もする。もちろん失敗しつつ。簡単に今があるわけじゃない…しごとも詩歌も、と、思いつつ、奢ってはロクなことにならないので淡々としていたい。それに自分のやり方に固執するひとが苦手なので、私が正しいかどうかもわからない。ひととひとのことで正しさなんて、ありはしないんじゃないかな、と思う。
桜がほろほろ咲いていて、雨が降ってきた。弱く強く、雨が花を濡らし、街を濡らしてゆく。
今日新しい気持ちでやってきたひとたちも3年後にはまた別の場所にいるのだ。それは私もそうだし、誰もがそういうものなのだろう。
桜の短歌はたくさん先人たちのすごいものがあって、いつもどう詠むか…うう、と思う。
ただ見たものを奥行きがあるように詠むこと。
帰宅したら、歌友とタイミングが合って買った歌集と、版画の本が届いていた。スピーディすぎるから、ちょっと落ち着かない。どこで買うかも含めて本だな、と思う。いただいた「かげひなた」を晩御飯を食べてから読む。
明日はもう散らむ桜へまなざしを向ける小雨をひとり帰り来