ラストマイル、本当に大好きな映画だ。
アンナチュラルとMIU404が大好きな人間としては勿論、彼らが“いま”を生きているというだけであの作中の世界が愛おしくて仕方ない。
それとは別に、ラストマイルという作品単体に対して、そこで描かれたメッセージに救われるような思いになりつつ、考えなければならないという沈痛な気持ちにもなった。
自分にとって素敵だと思える作品に出会った時、無性にこの世界を愛したくなってしまう事があり、今がまさにその状態なので、本当にラストマイルを観る事ができて良かったと思う。
“美しい(あるいは素晴らしい/素敵な)ものを見た”という感慨をたべて生きているので……。
以下映画本編についての感想。とりとめがなさすぎる。
ラストマイルはキービジュアルやグッズなんかの時点でオレンジ色を押し出しているイメージがあったから、“青”との対比があるんだろうなと思ってた(青はオレンジの補色なので)けれど、そうか、“ブルーカラー”か……となった。
作業場のベルトコンベアとかが目の覚めるようなオレンジ色で、派遣の人たちが青っぽい服を着てたりところどころで映像の中に青が仕込まれたから、画として映えるな〜と思ってた。
そういえば山崎さんが飛び降りた時の服も青だったね。
アンナチュラル7話で出てた白井くんの名前が呼ばれて、彼が返事をした瞬間に息を呑んだしその時点で泣いた。
UDIのいまを知れるのも勿論嬉しかったけれど、それ以上に嬉しいサプライズだと思った。
UDIの面々によって確かに命を救われた少年が、こうして元気に生きてるんだもんな。彼らの法医学が繋いだ“未来”を目の当たりにできるのが本当に嬉しかった。
白井くん、きみが生きてて嬉しいよ。
その白井くんが六郎に荷物を届けるのもめちゃくちゃ泣いた。
六郎が白井くんに気づいてないの、てっきり何度か白井くんが届けてるからだと思ってたけれど、単純に六郎がテンパりすぎて気づいてない可能性があるんだよな。かわいいね。
でも六郎には白井くんの事、気づいててほしいなあと思う。六郎達が救った“未来”がそこにあるんだぜ。法医学者になるべく頑張ってる六郎にこそ気づいてほしいよ。これはおれの勝手な祈りです。
志摩と伊吹、仲良しだね…………になった。
志摩の「持ってきた?」が優しすぎて聞き間違いかと思ったし、山崎さんの部屋がきゅるっとしてたって伊吹の説明に呆れながらもちゃんと通訳して「野生の勘」を信用してる素振りを見せるの、なに…………??? 仲良しじゃん…………。
六郎が山崎さんの「馬鹿な事をした」って言葉を聞いていた事、志摩が病室で輸液の袋に書かれた「ヤマザキ」の濁点(たぶん)を指でそっと隠すようにした事、すごく好きだなと思った。
届かなかった声を拾い上げて、ただしい名前を呼んであげられるひとたちなんだよなあ。
MIU404でアンナチュラルとクロスオーバーした時に六郎の名前は出てなかったから、今回こうして六郎と志摩と伊吹が出会ってるのが嬉しかった。またUDIラボの面々とも邂逅してほしいなあ。
UDIラボの面々のあまりの変わってなさに、会いたかったよ〜〜〜!!という気持ちになった。
ミコしょーがいつも通りすぎる。かわいいね。
坂本さんは6年間ちゃんと続けられてるんだね、良かったねえ。
六郎から電話かかってくるのが別にそんな珍しい事でもなさそうなの、良かった。来年にはUDIで一緒に働けるんだもんな(パンフレットのインタビューより)、またあなたたちの旅が続くであろう事が嬉しいよ。
中堂さんは6年経っても「クソ」の口癖が抜けてないの笑う。中堂さん、くべくんもいますよ!ついさっきその名前出てたでしょ!
焼死体を解剖する三澄班にアンナチュラル8話の事を思い出し、ああ……となった。
アンナチュラルではミコトさんの「始めます」は物語のはじまりを告げるキーだったけど、ラストマイルではその台詞がエレナさんのカットに被ってるのが良かったなあ。あくまで本筋はデリファスの話で、アンナチュラルはゲストでしかない、という演出に思えた。
焼きとり四目並べのシーン、凄かったな。満島さんのお芝居に圧倒された。
爆弾に手をかけたままのエレナさんが強がりながらも怯えたような表情で震えてる様子に、ある種の新鮮さのようなものを感じて、そんな自分にも驚いた。たぶん、アンナチュラルやMIU404のメインキャラクター達だったらもう少し落ち着いてる気がするし、人間の生死に普段から接している人達の物語に慣れてたんだな、自分。という事に気がついた。
その点エレナさんは、あくまで死から遠い世界で生きてる“ふつうのひと”なんだなあ、と思った。おれたちと同じだ。
「3年目、眠れなくなった」のシーンやばくないですか? つられて泣いてしまった。
頑張って頑張って頑張って、自分を擦り減らしてまで一生懸命仕事に尽くして、そのうちプレッシャーに押し潰されて、「真面目」で「勤勉」だから逃げ出す事もできなくて。どんな気持ちでエレナさんがその「3年目」を過ごしていたのか、その一言、その一瞬の表情だけで、痛いほど伝わってきてしまって、おれも苦しくなった。
それから孔がエレナさんの手を一緒に支えようとするの、良かったなあ。目の前の死に怯えながらかつて心を壊した事があると吐露するエレナさんが、きっと孔にも“ふつうに生きてるふつうに弱いひと”に見えたんだろう、と思った。
その後の二人の会話でもあるけれど、「真面目」で「勤勉」である事それ自体は素晴らしい事で、でもそれが往々にしておれたちを苦しめるんだよなあ、と思った。
日本の資本主義社会そのものがそういう性格をしているし、そこから逸脱した人達を強く咎めるような風潮がある。(その割には“正しさ”を冷笑するようなところがあるんだよな。これは映画本編からは少し逸れた話だけれど)
山崎さんも「真面目」で「勤勉」だったんだろう。そういう人が苦しくならない社会が良いなあ。
ロッカーの数式を見て孔が「人間の速歩きぐらい」、エレナさんが「ベルトコンベアの速度と同じ」(台詞うろ覚え)って言うの、めちゃくちゃ良かった。序盤か中盤あたりの、エレナさんが電話しながら倉庫内を歩いているシーンで、彼女の歩みとベルトコンベアが交互に映るところがここに繋がってるんだな、と思った。
数式の意味を理解したエレナさんが思わず笑いながら泣くところも良かったなあ。エレナさんもきっと止めたくなった瞬間があったのだろう、と思うと、本当に苦しかった。
山崎さんが止めようとしたベルトコンベアが再び動き出すシーン、アンナチュラル4話の花火のシーンを思い出した。
アンナチュラルの方の佐野さんがバイクで転倒した後、しあわせの蜂蜜ケーキが落とされる映像が差し込まれる中で、綺麗な花火を見上げるシーン。あまりに残酷で非情な現実をまざまざと突きつけられるシーン。
きっとアンナチュラルだったらあのベルトコンベアのシーンでLemonが流れてるんだろうと思った。
死にたかったと言うよりはただ“止めたかった”のだろう山崎さんが、“(結果的に)死んでも止めたかった”ベルトコンベアが止まらず動き出す様子、あまりにも苦しいし悲しい。あなたの人生を犠牲にした決死のジャンプが、世界にとっては取るに足らないものだった。筧さんがその真実を知ったとして、世界を憎む事にはなってたような気がしてしまうね。
ちなみに「ラストマイル」という単語、死刑囚が独房から処刑場所まで歩く距離という意味がある事を知っておそろしくなった。
消費者にサービスが届けられる(客に荷物が届けられる)「ラストマイル」が、筧さんにとっては死という刑を待つ「ラストマイル」だったの、ダブルミーニングが凄まじすぎる。
最後の爆弾を亘さんが洗濯機に投げ込むシーンで一番泣いた。それはもうしゃくりあげるぐらいに泣いた。
まず松本親子がロッカーに荷物を受け取りに行った段階で、助かってくれ、と祈りながら観ていて、部屋番号404を入力した瞬間に(部屋番号が404なのをすっかり忘れていたので)ああ、“間に合う”んだな、と安堵で既に泣き始めてた。
そうしたら爆弾が爆発しそうだという段になって、亘さんが咄嗟に見た先にあった洗濯機。号泣だよ。伏線回収の美しい物語に衝撃を受ける瞬間、万感の思いになってめちゃくちゃ泣いてしまう事がよくある。
しかも伏線の回収が鮮やかだというだけでなく、あの洗濯機が人命を救うという事にも胸がいっぱいになった。
会社は倒産してしまった(=社会における“価値”を生み出せなくなってしまった)けれど、亘さんが“仕事”として誇りを持っていたその商品が命を救う最後のピースになることに、勝手に報われたような気持ちになった。
エレナさんの「ずっと欲しかった答えがロッカーの中にあったのに」という旨の台詞、山崎さんが飛び降りた理由という“答え”と、最後の爆弾の在処という“答え”の両方を指しているのかな、と思ったし、前者はアンナチュラルの系譜で後者はMIU404の系譜だなあと思うなどした。
山崎さんのロッカーにある答えを知りたがっていた筧さんは、自分のせいじゃなかったかもしれないという“答え”を知る事はなかったし、それを遺した山崎さんは誰かに手を差し伸べてもらう事ができなかったし、二人とも“間に合わなかった”人達だなと思う。
荷物受取用ロッカーに最後の爆弾という“答え”を残してきた佐野親子は、仲違いしたまま死別する事なく、そして誰も死なせる事なくプレゼントを届けられたから、“間に合った”二人だと思った。
シェアードユニバースムービーの中でこの対比を織り込んでくれるの、あまりにも物語として美しくて、嬉しい。
物流における“ラストマイル”を担う人達が過酷な環境での労働を強いられている事、物流に限らず末端の人達が使い潰されるような社会の在り方。本当におれたちは「同じレールの上」にいるんだなあと思う。
インタビューでも書かれていたように、もはや末端に所属する人間の力だけではどうにもならないとこまで来てるんだろう。山崎さんはベルトコンベアを止められなかったし、孔とその前任者達はロッカーの数式を見守る事しかできなかった。“ホワイトカラー”であるエレナさんがサラから爆弾の件を何も知らされずに日本へ来たのも象徴的だなあと思う。
でも何かしようと思わない限り変わらないんだよな。何もしない事は加担する事に等しいとインタビューでも書かれてたし、おれたちもまた鍵を託されたわけで。考えなきゃなあ。
主題歌の『がらくた』、本当に本当に良かった。大好きだこの曲。
ラストマイルの物語を経て、暗くなったスクリーンに流れていくエンドロールを見ながら、あの音響で聴く『がらくた』、これだけでも劇場で観る価値があると思った。
がらくたの歌詞もそうだし、アンナチュラル、MIU404、そしてこのラストマイルでも語られている大きなメッセージとして、「生きていてほしい」という祈りがあると思った。「生きていれば何度でも」という生への肯定。
山崎さんは自分の“仕事”に疲れ果てて明日が来るのがこわくなってしまって、だから今もずっとねむったままで、自分の“仕事”が“奇跡”を起こしてる瞬間を見る事ができなかったんだよなあと思う。
亘さんは会社が倒産してしまった時にきっと自分の“仕事”に絶望や落胆や先の見えない不安を感じただろうけど、それでも生きてきたから、あの“奇跡”を起こして親子の笑顔を見れたんだよなあ、と……。
生きていれば何度でも絶望を払拭してくれる希望に出会うチャンスがある。生きている限り負けない。社会への絶望や諦念を描きながら、そういう希望を語ってくれるから野木さんの脚本が好きだなと思う。
どうしようもない現実をどうしようもないまま、冷たくて残酷で非情なものとして描いていても、祈りに満ちたラストマイルが大好きだよ。
みんな生きようね。ご飯食べてちゃんと寝て、生きよう。