遠くに着いたと感じたらその先が最寄りだったりする

orso
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読みたい本が見つからなければ、ブッツァーティかテッド・チャンを読めばいいじゃない。「理解」を読みながら、どちらも高次元の存在が出てくると気付いた。安易な断定は好ましくないが。

前者が描くのは神や天使といった宗教的な存在が主で、後者は構造的な超越者といえば適切だろうか。どちらもヒトの形に限らない大きなものを描いている。物語そのものは私たちの世界と地続きで展開するのにそこに高次元の存在がふと介入するような。でもその場合、低次元の側に存在するものは機会が与えられない限りそれに気付かないものだから、だから、私の周りにもなにかしらのそれが在るのだろうと思う。私の暮らしにわずかに残る悲しみの部分に関わらない存在だといいなと思う。

@orso
肩書のないのhooman