いつも何かやりたいと言っているけど、いつも何もやっていない。もう何年前も前から言っていることだ。そういえば、読書は、少し、できるようなった。それでも、絵を描けるようになりたいと言いながら何も描いていないし、デザインをできるようになりたいと言いながら何もデザインしていない。文章を書けるようになるには、文章を書かなければいけない。俺は何をしようとして何ができないでいるのか。振り返ってみると、こうやって練習するのがいいんだと、正しいやり方みたいなもので取り組むべきだという意識があるなと思う。この本の説明をたどりながら絵の練習を進めるという具合で。本を読むとき、最初はまとまった時間で、その瞬間はある程度の時間をかけて読むものだと思っていた。でも実際できるようになったのは、何も考えていない無の時間に二行だけでもいいから気持ち読む。そういう感じで始めてから読めるようになったような気がする。最近5000円する分厚い本を買って、それは気が向いた時に数行読むやりかたで一年かけて読もうとしている。おそらく読めると思う。絵、描けるようになりたい。描きたい絵を描くのがいいと思うんだけど、これといって描きたいものがない。こう言う雰囲気、こういう塗り、こういう体のバランス、こんなふうに何かが違う。モネの絵は好きでモネみたいな絵も描きたいけどでもモネの絵を描きたいわけじゃないんだよね。モネの世界観がありながらもかわいい女の子を絵を描けたらいいなって。タッチはデジタルらしいすっーとした線じゃなくて、ゆるやかな線で輪郭を捉えたい。印刷して(紙と印刷技術にはこだわる)額縁にいれて(絵に合わせて選ぶ)飾るのが、今頭の中で描いてることだ。モネのニュアンスを感覚的には取り入れるんだけど、絵だけ見るとモネはどこにもいないかも。デジタルな透明感とアナログな雑多感を調和させたような、そんな絵を描きたいと思っている。今この文章を書きながら考えているんだけど、なんか少し見えてきた。具体的な手法を考えるよりも、夢を描いていったほうが結果的に具体的な手法がほんとうの意味で実際的に思いつくことができる気がする。そういうこともあるのかもしれない。