いつもはパソコンから叩いているんだけど、きょうはスマホで文字を打ってみる。部屋の明かりはもう消していて、羽毛布団に身を包みながら。画面がちょっと眩しい。いつもどおり、テーマは決めていない。なにか文章を書きたい書いておきたいなと思ったので、とりあえず書き始めたというわけ。
今までのじぶんなら、こんな始め方は絶対にしない。何かについて何かを思ったとき、なにか話題があってそれについて言いたいことが出てきたとき、頭の上に綿のようなものがのっかる。どうやって出てくるのかはわからないんだけど、気づいたらのってる。重くはない。なんかあるなというくらい。それくらいのことだから、すぐに忘れる。けど、ふとしたときにその重みを感じことがある。そういうときにその綿の重みを気づいて、「綿のってる。で、なんなんだこれ」となる。
右手で頭の上にある綿をがぶっと掴む、それがテーマ。そして握っているそれを眺める。思ったことを書く。僕が文章を書くというのは、こういうことだ。
これまで小説をほとんど読んだことがなくて、最近なんとなく純文学を読んでみたら、文体いいなあと思った。しかも人によって全然違う。これを読んでいるあなたは、そりゃそうだと思うかもしれないが、なんか衝撃を受けたのです。どうやら僕は、文体に興味があるらしい。
みんなインターネットにたくさん触れてきていると思う。そこにはけっこうな偏りがある。ニコニコとかよく見ていたんだけど、どっぷりというわけじゃなくて、ちょっと中途半端に。オタクに憧れがあるというのなんかキモいけどまあそう。好きなことに全力で注ぎ込んでいる人たちの背中にはゆらめく熱気が立ちのぼっている。
それとは対照的に、意識が高い人たち、ビジネスライクなもの、いや、もうオタク以外の人たちって言ってもいいだろう。そういう人たちの文章はなんかすごいなあとは思うのだけれど、その熱はすぐ冷めてしまう。すごいと思う構成、読みやすくなるテクニック、100万回くらいは見た表現、そういうのがなんかわかるとなんだかなあって。もちろん文章を書く人は、こういう風に書いてくれとお願いされて書いている人もいると思うし、個人の主張がないものが求められる場面もふつうにあるのはわかる。ここで言いたいのは、ただ単純におもしれーの読みてえ!そういうの。
最初の方はすこし考えつつ書いていたんだけれど、だんだんとリズムが悪くなってきている。こうやって相手の発言・反論を予測して、それを踏まえた発言をするということを、ここで今こうやってしているくらいには、ちょっと疲れてきた。これはたぶん、文章を書き進めるにつれて、即興的な成分が減っていき、論理的なことを考えようと無意識にだがしてしまっているのが原因だろう。
その小説の文章でしか、その情景を見ることはできない。小説のよさ。そういう、それでしかできないことがいいのだ。じぶんの思っていることを、自分の言葉で表現する。かっこいいね。妙に描写にこだわっているのは、そういうこと。一つの単語を見ただけで想像できるようなもの、それはもう誰も想像なんてしていない。思考停止。そんな風に思う。
そうやってちょっと難しいことをしようと試みている一方で、わりと、というか、とても雑に文章を書いている。おかしな話だと思われるだろうが、これは意図してやっている。やりたいことはなにか?文章が書きたい。とりあえず書くをしたい。それが理由。思いついたら書こうとか、アイデアはあるけどまだその道筋が見えていないんだよなとか、そもそも考えるの面倒だから今はいいやとか、途中まではやったけどちゃんとした形にまだできそうにないなとか、そんな具合で書かない理由は常に溢れている。文章がうまく繋がらない。それでもいい。それくらいの雑さで書く。
太ってきたからさすがに運動しなきゃと思った人が、ランニングを始める。2日やる。めんどくさくなってやめる。僕は痩せ型なので大掛かりなダイエットというものがしたことがなくよくわからんのだが、走るのはきついのはわかるので、こんな感じを想像した。走ってもそんなにカロリーは消費しない。それよりも健康のための散歩をする。あと食事を見直す。散歩と食事大事そうな気がする。僕がやりたいことに当てはめると、とりあえず書くことで進む。進むという循環を自分の中に作る。食事を見直すように、情景描写に凝ってみたり、文章のリズムに意識を向けてみたりする。まあポエミーで厨二なキモい文章になわけだけど、オタクになるのうひょーなのでにこにこ。
見られることを意識してしまうと、しっかりとしたものを作らないといけないとなる。自信を持って見せたい人は、自信を持って魅せられるものを作ればいいと思う。けど僕はじぶんが満足すればもうそれでいい。やりたいからやる。理由がいることが当たり前のようだけど、よくよく考えると理由なんてなくてもできる。子どもを見てほしい。それがよくわかる。
ここまで書いたテキストを読み返して思ったことは、あんまり批判的なこと書きたくないなということだ。あーいやだ。書いた後に後悔する。ビジネスライクがダイエットがどうたらこうたら、これ消したい。とはいえ、それが全部だめだと言っているわけではない。ビジネスライクというのは具体化。現実的に考えるということ。それはそれでおもしろい。けどこんなこといって反論にいちいち答えていっててら、それこそおもんない。ので、いいでしょう。おやすみなさい。