大きな川にかかっている橋から景色を見るんだけどよく見えない、よくわからない。写真だとこういうところなんだと思うのだけど、実際にそこで目にすると、その景色が写真みたいにはいってこない。何思っているのかというと、ずっと「どういうことだ?」「いみわからん」とかで理解した感覚がない。昔はわからないことがあるとぐにょぐにょした。でも最近はどういうことなんだろうと考えていて、わからないことよりも考えることに意識がいくようになった。すぐに答えが出ないといらいらするとかじゃなく、頭の中のいろんなことに繋いだり繋ごうとするけど繋げなかったりそういうのを錯誤してることに目が向いてる感じ。いや、まって。それはふだんの話だ。景色を見ているときはさ、なんかもう頭が回ってないんだよね。わかるというのは、わかりそうの延長にあるもの、とすると、景色は何もとらえようがなくて意味わかんねえってなるんだ。なんなのかマジで意味はわからない。さっき言ったのは「わからない→いらいら」という流れ。おれは「わかない→みる」なんだよね。そんでわからない。からみる。そしたらもう無限ループ。橋の上でその景色を眺めているとふつうに30分とか過ぎる。なんなら1時間超えることもある。けどずっと同じところに何もしないで突っ立ってるとまわりの人から心配されるかもとか妄想して離れるわけで、なんもなければずっといると思う。どういうことかというと、じぶんが今なにを見ているのかがわからないし、どこを見ているのかがわからない。たとえばカメラで撮った写真なら長方形の枠が明確にあって、そこで途切れているでしょ?でもこの目で見ているときはその枠はない。しかも視界はじぶんが見ているところとその周辺あたりがぼんやりはいっていて、だからいつもおれはどこ見てんのかわかんねえってなる。どこを見てるとか意識して考えるのがそもそも変なのかも。人と話すときに勝手に声を発していて言語としてちゃんと成立したものをリアルタイムでおこなってるのもいみわからんけど、それを頭を使って話そうとするのはまた変になる。考えを感覚の上に載せて走らせるみたいな感じがあって、だからそのある感覚がないと考えても走らせられない。から考えるっていうのはそれだけではできない。じぶんでもわけわからんくなってきた笑 わけわからん一例をだそう。川の水面を見る。写真と違って動いてる。そして波立ってる。波立ち方は海よりも川のほうが細かい(最近海見てないからわからんごめん違うかも)。細かいのなんで?って考えると、川の底が凸凹してるからその影響なのかなとか考えれる。そこは考えれるんだけど(答え合わせできてないから違うかもだけど)、波の模様が一瞬にして変化する。動画風に考えるなら一瞬ですぐに変わる。でも動画は要はパラパラ漫画で写真を連続で切り替えてるわけ。目で見ているのは、なんなら切り替わっているのすらわからない。意味がわからな過ぎるよ。ためしに川の水面を見てみてよ。まじでわけわかめ。いまは川でいったけど、空とかもそうだし、境界みたいなものも曖昧で、距離が近いところや遠いところによっても見え方がなんか違う気がするとかそれはもうたくさん。ただ、よくわからないんだけど、そこに居てたくなる。そうい感覚がある。冬場の風呂で水が冷えてきたのに上がるともっと寒いから風呂にまだいるかみたいな、こたつの中からそろそろ抜けようと思ううのだけどなかなか抜けられないみたいな、TikTokや YouTubeみてたら止められなくみたいな、例が悪いときの感覚ばかりで話とマッチしていないけどまあそういうそこになぜか居てたいという気持ちになる。気持ちよりもっと手前のもっと無意識に近いところ。あ、焚き火を目の前でしているときの感覚だ。これだ!暖かくて心地のいい気持ち。これもよくわからないよね。こういうの。分かろうと考えるのはいいこと。けどこれはざっくりしすぎていて、もっといろいろある。分かろうとして考えて答えという答えは出さない。けどとりあえずの答えをなんとなく出す。これは距離感とか位置を測るための目印みたいなもので、それが本当かどうかは重要ではないみたいな。なんの話してたか。まじで忘れた。思い出した。俺がいままで思っていた考えるという概念が微妙だったということに気づきはじめたんだ。頭で考えようとするより、感覚で考えようとするイメージでこれからなにか物事を捉えてみようかなと思ったんだ。わかりやすく言うと、あんまり考えないでなんとなくやってみて、その気分を感じていると勝手にいろいろ思いついて考えられて、なんとなく違うかもと思ったら手放して違うことしてまた目に入ってきたものを捉えるという感じ。景色を見ているとき全体なんて見れなくて、見ているところ周辺が入ってきてなんか思って、また別のところに視点を合わせる。今気づいたけどこのタイトルだと景色に興味ないっていうミスリードになってていいね。うわ2時だごみすぎる。おやすみ。