浮かない気分の毎日。存在意義を問う。理屈としてはもう答えが出ている。自分の肯定。じぶんは偶然存在している。存在には意味はない。でも意味は見出せる。この存在の肯定、それはこの体を使って何かをすることだ。何かをできたのはこの体があったから。だからこの体を使って何か行動を起こしてみることがじぶんを肯定することで存在意義になる。おれは存在意義について悩んでいるわけではないみたい。寂しいんだ。今まで人に悩みを打ち明けたことなんてなくて、打ち明けるにしても、これが悩みだという具体的な何かを自覚しているわけではないからよくわからない。現実なのか夢なのか、それさえもわからない。夢の中にいるよう。熱い想いがない。何かを応援したいって気持ちもない。好きなアーティストやバンド、尊敬する人もいない。いや、この人生の中で、このひとは本当にいいひとだと思ったことはある。けれど、その人について深く知ろうとなにか行動することはなかった。惹かれる人は、まあ、いるかもしれない。でもみんなみたいにどっぷり浸かれない。どこか一歩ひいている。死ぬつもりはない。ただ現実の時間は進んでいく。どうでもいいやという気持ち。このままだとよくないと思いつつ、でも諦めているわけでもなくて、やりようはあると思っているところがある。その上に成り立つ、どうでもいいや。よく見てる配信者がいて、配信通知に気づければ必ず見るくらいには気になっている。けどコメントはたまにで投げ銭は一切してない。コメントしたいけど、みんなみたいにコメントの内容が思いつかない。コメントしたいけど思いつかなくて、コメントできなくて、悲しい。投げ銭はその配信者に関わらず投げようと思うことがなくて投げてない感じ。その人の配信を必ずみたいという気持ちはあるけど投げ銭しようという気にはならない。結構はまってると思っている一方で、行動はそんなに積極的ではない。そうなると俺は本当に好きなのかなと疑問に思ってしまう。応援する気持ちが高まるほど、悲しさも高まっていく。自分も何かやってみようかなと、配信者とか、絵を描く人とか、なんでもいいけどそういう人を惹きつける人になりたい。寂しいから。惹きつけたいわけでもないな。構って欲しいのかな。構って欲しいなら引きつけたいってなるんだろうけど、惹きつけたいとは思っているわけではないのがなんか変だね。わかままなのか。それがわがままか。なんにも技術なんてないよ。惹きつけることもできない。引きつけるとしたら、何かをやりつづけてみる。そうしているうちに、惹きつけるものが生まれるんだとは思う。けどそれはいつのまにかそういう魅力が溢れるようになるということで、無自覚なもの。考えても解決はしないね。とりあえず、行動してみようかな。行動しないことをなくす。何も考えないようにしても考えてしまうのだから、自ら考えようとするのはやめよう。