昨日スーパーに行ったらお菓子を食べたいなと思ってお菓子コーナーに向かったんだけど、「これ食べよ」っていう食べたいお菓子があるわけじゃないことに気づいた。1つひとつのお菓子を見て、食べているところを想像した。そんなことを考えていると、そもそもお菓子を買う必要性があるのかを思いはじめた。たしかにお菓子を食べたいかもとなっているけれど、いまお菓子を食べる必然性が思いつかない。我慢できない訳ではなかった。ほかには?お菓子を買うとお金がなくなる。じぶんが本当に食べたくなったときに食べられないのがいちばん不幸。そうすると今は出費を抑えたほうがいいのかな。そうやっていろいろ考えていき、良いこと悪いことを比べてみると、食べなくてもいいやってなった。
近所のミスドによく行く。子どもがなんか言ってる。笑うわ叫ぶわばか自由。かつては俺もそうだったんだろう。社会という観念が規定された煙を吸いすぎたのだ。メリット・デメリットを書き出し、各項目を評価し、総合的な判断で行動を決定づける。合理的な判断というやつ。でも最近、それは本当の意味での合理的ではないんじゃないかなと思うようになった。人間には感情(情性?)と理性があって、感情だけで行動しているわけではないし、理性だけで行動しているわけではない。合理性を問うのであれば、感情と理性が重なり合うところだと思う。感情はどういうときにどのくらいあらわになるのか人それぞれ違ってくる。しかもそれは日によってその瞬間によっても変わる。だから誰にでもいつでも当てはまる合理的なくないかと。
もっとも、合理的かそうじゃないかで判断するのもちょっと違うなと感じている。合理的って教科書的な正しさっていうイメージをしているんだけど、そうやないものもありませんか?アクロバティックです。なんかめっちゃ不安定そうで意味不明なんだけど、なぜかうまく形になっている、みたいな。アクロバティックな判断をするためには、自分の中から湧き上がってくるものに従うことなのかなと、なんとなく思う。だからといって好き放題やるわけではなくて、それを現実化するためにはどうしたらいいのかを考える。商人のようなこれはこうしてこうすると…ってな感じで。
人間ってかんたんに騙される。お酒の飲み比べをしていて、じぶんがおいしいなと思ったほうの値段を見てみるとそれが安い方だった。味には好みがあるから値段が高いからといって好きかどうかはわからない。ここでお酒の値段があがるほど味が”確実に”おいしくなるわけじゃないことや、希少価値によっても価格が上がることも理解している。そうじゃなくて、ここで言いたいのは、この後だ。値段が高いことを知ったあとにそのお酒を飲み比べしてみたら、値段が高い方のお酒もおいしいかもと思うようになったのだ。素直にフェアに判断したいと思っているわけなんだけれども、やっぱり値段を知る前と後じゃ、そのお酒に対する評価がかわってしまった。悔しい。それでも安い方もおいしいという気持ちは変わってないよ。
上達や成長を認知科学の視点でみる本を読んでいたら、似てるなと思ったことがあった。計算力があるとして、計算力があったとしてもどういう場面でも計算できるかというとそうじゃないという話だ。文脈依存性というもので、計算力があったとしても文脈にある関係ない情報に惑わされてしまい計算ができないくなる、というもの。
ここまで書いてきてなんか疲れてきた。何が言いたかったんだっけ。情報で判断するっていうのは一見正しそうに見えるんだけど、前提があれだとぜんぶあれだということやね。じぶんの感覚、気分で生きたほうがいいかもと思った、ということが言いたかったんだ。
お菓子の話に戻るんだけど、お菓子コーナーでぼーっとしていても何も決まらなかったのでスーパーを一周してみたら、パンのコーナーが目について、そしたらめっちゃ食べたいなと思った。お菓子じゃなくてパンを買って食べた。うますぎわろた。お菓子を食べたいというのは、じつはお菓子というより食べたいものを食べたいということだったらしい。いつも通り、適当に選んだお菓子を買っていたら、この喜びはなかった。感覚的にびびっとくる。この感覚が大事なんだと思った。感覚っていうのはイメージ。イメージというのは想像上のものなので現実的ではないものを想像することでもある。現実にとらわれないイメージ。たぶんこれは意識の制約があるとむずかしい。
絵を描く人や、歌を歌う人、ダンスや劇をする人とか、表現する人はイメージしてそう。けどそういう人もそれ以外の場面だと想像しなくなりそう。常にイメージしてる人ってどんなんだろ?幻覚見てるみたいな。どう考えてもやばい人になるんだけど、たぶん実はやばくない。宗教もそうだと思う。サピエンス全史っていう本でみたんだけど、人間は虚構を信じることで大規模な集団行動をとれるようになったらしくて、すげえらしいです。
「イメージするぞ!」というより、いらない情報とか考えを取り除くっていう感じな気する。そしてじぶんの中に湧き上がってくるものに気づく。意識を向けつづける。そういう感覚。
頭が回らなくなってきたのでこの辺で終わります。