やらないといけないことに気づくけど全部後回し。そうすると後になって始めて、すべてが遅れて、よくない気分になる。遅れながらもやってみていると、リズムというか、流れに乗ると不思議と流れ出す。流れる乗ることは安定しているというわけではなく、リズムを崩せばなくなってしまうくらいの不安定さがある。けれど流れにあわせてじぶんの流れをつくることで、不安定さが弱まって、安定さがでてくる。そのことに気づくと、面倒だと思いつつもそのじぶんのリズム一式を持ち出してみたら、意外とするなり流れ出して、その流れが心地よいと思う。しなければならないという今までいつも考えていることが、なくなって、いや、しなければいけないの奥にある意味合いががらりと別のものに置き換わる。ただやる。言葉にすればこう書けるんだけど、そうじゃなくて、感覚的なものが全然ちがう。ただやるというのは、ただやれる、のほうが近いかもしれない。最初に「これやろうかな」と思って、そしたら「できた」となる感じ。ここには深い意味合いがあるんだろうけど、そういう深い意味というより、言うならばあたたかい感覚がある。深いって理論だっているけど難解でよくわからないという雰囲気があるけど、まあそういう意味もあるけどもっとこう、感覚的なわからなさ、言語にすることのできない感覚というもの、わからないということすらわからないような難解さがあるんだろうね。深い意味という捉え方にあわせてあえて言うとね。こんなことを考えると、今やりたくないと思っていることも、なにかやりようがあるというか、やれる気はする。