三角おにぎりが握れるようになった。
もちろん動作的には前からできていたことなんだけど、最近初めて自分のためだけに握ることができるようになった。つまり、炊いた米に適切な具材を混ぜて、ラップで包んで握って三角を成形できるようになった。自分のためだけに。
妊娠してから異様な空腹感が続いて、深夜に目覚めてはのそのそと夜食を食べるのがほぼ日課になっている。腹が温まって眠気を誘ってくれるものが良いので、少量の炭水化物がいいのだけど、甘いものは吐き気がとか、水分が多いと横になった時苦しいから麺はとか、まあマイナートラブルのおおい妊婦には色々細かい欲求がある。ここ数日の選択肢として落ち着いたのがおにぎりで、梅干しと塩昆布とおかかが今の所ちょうど良い。
基本的に生活動作全般に関して激しく面倒くさがりなので、自分のための夜食をこさえるのは単純に非常にめんどい。コンビニおにぎり配達してくれと思う。実際日本で妊婦だった頃は夜に買い出しに行ったこともあった気もする。でもここにはコンビニはない。割と当初はつわりからの嘔吐で弱った体で嘆いていたが、最近は少し吐き気も落ち着いたので立って夜食を準備できる。
それで面倒くさがりなので、普段であれば具を乗せたまま混ぜご飯(混ざっていないすがた)みたいな状態で食べる所だったのだが、ふと思い立っておにぎりにしてみた。一口大に取って、角を作って整える。子供が茶碗に持った米をおにぎりにしてほしいとよく要求してくることを思い出して真似してみたのだが、そうしたらなんだか驚くほど食べやすかった。食べながら、ああ私はずっとこれができなかったなと思った。
自分の機嫌を取ることといえば「自由」と「自堕落」だった。友達と飲んで騒ぎ、午前3時に別れて一人になってからカップラーメンを食べて、明け方の桜を見ながら帰って昼まで眠る、みたいな勝手気侭で、好きなだけ自分を我儘に扱うこと、乱暴も全て自分の選択で行うことを自由と感じた。クソみたいな自分がする自分の世話に凝るよりは、なんなら雑に扱った方がおもしろいと思った。
子供が産まれてそれが難しくなってからはなかなか弱った。(できなくはないが、単純に代わりの保護監督者を準備する必要があるので自由なタイミングではできなくなり、そうするとかなり「自由」ではなくなってしまう)子供はかわいいけどお陰でつまらねえ、もうだめだと思ったこともあったけど、最近地獄のように忙しかった学業がひと段落して落ち着いたのもあって、他の方法で自分の機嫌を取ることができるようになってきた。要は自分で自分の世話をすること。丁寧な生活、毎日の食事やちょっとした部屋の置き物などに、手間や費用を惜しまず使い、喜びそうなことを考え世話を焼く。自分の子供にするように。
昔はファック丁寧な生活、クソな日常を大事にするくらいなら立ったまま死ね、と思ってたんだけど、いつかは子供を産んで育てることを選びたかったし、今思うと無頼かっこいい的なファンタジーと同時に自傷的な意味合いもも多分に含んでいただろうから、まあ色々含めてこっちの方が健全だろう。とはいえ私も本当にできると思っていなかったのだ。自分が夜中に一人で台所に立ち、わざわざ食べるものの見目を整えたりすることを。家族の誰も知らないところで小さいおにぎりを食べて眠ることを。
ちなみに私の子供はふりかけとゆかりのおにぎりが好きで、ゆかりの袋を開けると「おにぎりの匂いがする」と言って寄ってくる。モンスターボールの形のおにぎりを作ってやったこともある。見映え重視で白の部分はまるで味をつけなかったのにめちゃくちゃ食べた。私は食べていない。
自分のために三角おにぎりが握れるようになった。