カーテンを通してフローリングに映し出される光はまるで透き通った水面のようなきれいな模様を描き出している。
自然の光というのは、神秘的で美しい。
朝の光は白く透き通っていて、まるでアルプスの天然水のようだ。
なめらかな絹のような模様を映し出し、一日の始まりに感じる僕の憂鬱な感情を浄化してくれる。
木目のテーブルの上に置かれた目玉焼きトーストとコーヒーに、より食欲を与えてくれる。
昼の光は、部屋中にある家具の多くを、美しい橙色に染め上げる。
ここが放課後の音楽室なら君はきっと、思わずベートーヴェンのピアノソナタ第14番を奏でたくなるかもしれない。
全てが本来あるべき場所に戻り、落ち着く。
小学生は家に帰り、夕飯のカレーを思う。
恋人たちは帰路につき、お互いのことを想う。
夜には残念ながら太陽も家に帰る。
近頃はそういった恒星にも、働き方改革は尊重されるのだ。
夜は、月の舞台だ。
多くの人々が彼を見上げる。
それは駅のホームであったり、帰りのバスの車窓からであったり
はたまた、湯船の中だったりもするかもしれない。
日々その姿形を変え、僕たちをひどく感傷的な気分にさせる。
彼を見上げながら詩を書いたロマンチストは、この世界には数えきれない。
彼を見上げながら、その光の下でダンスをした恋人たちの数は数えきれない。
そうやって、日々は続いてきた。そしてこれからも。
あなたはどんな光が好きだろうか
または、どんな光が映し出す美しさが好きだろうか
僕は、木漏れ日が好きだ。
その一瞬にしかできない形があり、もう二度と同じ形になることはないと言われている。
僕たちが生きる毎日も、まるで木漏れ日のようで、全てが奇跡の連続で、二度と同じ日はやってこない。
幸せな日は、年に何日あるだろうか。いや、何時間もないかもしれない。
そんな日々を懸命に生きている。限られた時間の中で、一生懸命に。
全てが同じ形をとっているわけじゃない。
木漏れ日の形に、正解なんてあるのだろうか?
いや、きっとないだろう。
僕たちは、それぞれ懸命に生きて、奇跡を生む。
その形は、頑張れた日だって、頑張れなかった日だって、全部最善だった日々で、全部素敵な日々だ。
命を投げ出したくなる日も乗り越えて、ここまでやってきたんだね。
希望なんてなかったね。歩く速度に戸惑いながら、泣いた日もあったね。
それもこれも、全部正解で、全部必要だった日々。
日々描くその木漏れ日の形が不格好でも、愛してあげてね。
自分だけの光を、また今日も映し出していく。