皆様は思慮深いだろうか。
「思慮深い」とは、「深く考えを巡らせた上で判断するさま・よく慮るさま・配慮が行き届いているさま、および、そのような性格(の人)」を指す意味で用いられる表現である。
自分では自分はよく考える人間だと思っている。しかし、しかし、しかし...
喋るということに対して、思慮深くない。
喋り、口から出る言葉はいつも自分の考え・思考より先に出ているように思える。言葉に詰まるときは言葉に続けられる単語を思いつかなかったり、思い出せなかったり、知らなかったりする時だ。
何も考えずに言葉をつらつらと連ねて、話続ける。
言葉とは、会話とは、どこから生まれてくるのだろうか。
この文章を書いているときもあまり考えずに、ただただ言葉を書き連ねている。
しかし、言葉や文章は考えずに書き続ける、しゃべり続けることができるものなのだろうか。
わからない。
私の言葉はどこから生まれてきていて、何が考え生成しているものなのだろうか。指が動き、口が動き言葉が刻まれている。この言葉はどこから来ているのか?自分は自分が思っている以上に考えているのか?それとも言葉とは考えずに生まれるものなのだろうか。
調べてればインターネットに私の追い求めている答えがあるのかもしれない。
言葉はどこから生まれるのか。
私はどこで作られた言葉を発しているのか。
この文書、そしていつもの私の話はどこから流れてくるのか。
わからない。
わかる日が来るのかもわからない。