「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい」
の書き出しから始まる例の小説ではないけど、(推定)推しが燃えた。ファンとファンクラブ内の機能を使用して個人通話をしていたらしい。かなり、事実が小説より弱い。
知ってすぐに、感想としては素直に「へー、そうなんだ」の無。怒りも哀しみもない。まあ、言ってもドの付く新規の身であるが故、まだ"存じている人"の域を出ていないんだろう、感情としては。でも、噛み締めたら確かにもやりとした感情も存在した。インターネット・クズ・ボケカス・野次馬ポリシーの名に恥ないワクワク、高揚感、はたまたファン心の中に存在するこの感情は何起因なのかが正直分からないから整理した。
このほんの数ヶ月少し、件の人と接触してみたり話をしたり対応を見ていて抱いた新規の私の印象は、「この人、長期のファン(古参)が亡くなった時、予定さえ合えばお線香をあげに行くような人だろうな」だった。なんなら、結婚したんです。といえばこっそりお祝いのムービーすら撮ってくれそうだし、赤ちゃんが産まれたんです。といえば写真送って?って言って、おめでとう、と送りつつちょっと泣いてくれそうでもあるし…。と思っていたら実際、古参からの結婚と出産の報告は泣きそうになると言っていた。感情がある。今までオタクに意思がある事を実は知らないんじゃないかな?みたいな人を長年応援していたから、びっくりした。
件の人はとにかくオタクをどうしてそこまで?というほどまでに『人間』扱いしている。それはほんとうにすごい。自虐とかでもなんでもなく、オタクって本当にその辺の石ころなのに…………。なんなら、後押しする存在でもあろうが、大きな障害でもある。好意を持ってる人間が一転としてアンチになることだってあるから。ましてや良かれと思って(一部の)オタクは対象に対して"こうであれ"の理想を押し付ける割に、自分は時期で勝手に飽きたり降りたり勝手に恋愛して結婚してバイバイしていく。現実。しっかりずっとオタクしてる人も中にはいる。その人たちは何かを言う権利は、まあ、ある。かも。権利無いのに声がでかいオタクは終わりの人間。法律で今決めた。まあ、私の国のポリシーはダブルスタンダードなので法はいつでも覆る。
話が逸れたけど、私のもやっとした部分は多分「いいな〜わたしもお話ししたいことがあるから長めに話してみた〜い」だったので、結論からして案外本件についてはどうでもいいのかも。新規の妙薬であり、はまった年月が長ければ長いほど毒は回る気がするけど。