推しがいる人生です。それもたくさん。対象は家族の犬だったり(まだリビングで眠ってる時間かな。いま6時です)、キャラクターだったり、アーティスト、はたまた好きな曲だったり、パスタソースだったり、とにかく色んな推しているものがいます。
それぞれに向ける愛の形はさまざまだし、比重も違ったりします。その時に一番熱をいれているものはコレ!っていうのもあります。犬については不動だけど、いつも愛してるから……。
つまり、推している物自体は沢山あります。むしろ、沢山あればあるほどいい、という個人的な考えをもっています。
これには自論があって、ちょっと夢から醒めるような言い方になってしまうんですが、リスクヘッジを兼ねているんです。一つをただひたすらに愛するってとてつもなくパワーがいることで、それも素晴らしい愛し方です。でも、私は、もしただ一つだけを愛す!という意識を自分が持っているのが不安になります。
推してる対象って、大体は自分の存在以外になると思います。その場合主導権はこちらにありません。(これはあるよ!てのもあるのかも。そこはすみません!)
推しているのが生身の人間だったり、キャラクターの時に、例えば自分にとってショックなことが起きるとします。たとえるなら推していたバンドのメンバーの一人が脱退することになった、とか好きなキャラクターが物語の展開上亡くなってしまったとか。これは極端な話ですが、思い入れがある分一喜一憂してしまいます。なにせ、推しなので。
その時に、推しが一つだけ!今はこれだけを押してる!てなると、その推しになにかあったときのダメージに耐えられなくなります。私はね。
その時に逃げる先、といったら言い方はちょっとネガティブすぎるかな。マンションの別の部屋、という言い方にします。101の部屋の推しにショックを受ける出来事があった、心配だけれどずっと心配していると自分自身も辛くなってくる……。そうだ、205の部屋の推しのところに行こう!みたいな感じです。なんか、すごい浮気してるみたいだな……。ちがいますよ!同時進行で推しているのです。
というかんじで、推しが沢山いればいるほど、一つの推しを追いかけるのが辛くなってしまった時に、気持ちのいきどころを分散できる先の選択肢が多いと安心なのです。私はね!
自分のペースで推しているアーティストグループが今います。オーディション番組で投票で選ばれた上位の子達で作られていて、みんな好きなんですけど、その中でも特に推している子がいます。デビュー発表のとき、ちがうライブの現場にいたので路上で心臓バクバクしながら見守ってたのがつい先日のことのようです。もうすぐ一年くらいになるのかあ。月日が立つの早すぎる……。
私はその番組を見始めたのはわりと終盤近くになってからでした。でも、過去の分も見返せるようになっているし、パフォーマンスビデオも簡単に見れるようになっていたので、そこで見つけてしまったのです、もう一人の星を……(推しじゃなかったのか?)(でも推しはスターみたいなものだから、あってます)
私が知った時にはすでにその子はデビュー圏外として、脱落してしまったあとでした。好きになったのが遅くて、応援(投票)することができなかったのです。パフォーマンスをみるたび好きだな、て気持ちが増してしまうのに、もう姿を見れることはない可能性だってあるよなあ、どこかでまた見たいな。誰かこの星を掬い上げて輝かせてくれよ!と身勝手な願いを持っていました。
デビューした推しをおいかけつつ、もう一人の推しもいつか、何かで見られるようにならないかなと思い続けていたんです。
そうしたらね、昨日、あるガールズグループの一員としてデビューすることが発表されたんです!もうすごく嬉しくて、これで、もっと推せる可能性が広がった!と思って。ライブとかあるのかな。あったら行きたいなと思います。
推しがたくさんいると心の絆創膏になるし、一つの推しを見ることが辛くなった時に違う方向を向ける、のが私なりのなるべく後悔のない推し活です。
という話でした。
そろそろ起き上がる時間なので、推し犬(家族)を起こしに行ってきます。