隣の芝生が青く見える、という言葉の通り、自分にはないものが羨ましくなります。私はイラスト、漫画、小説、デザイン、短歌など、創作に纏わるものに色々手を出してきましたが、原動力はこのもってないものを得てみたい!という気持ちだったりします。これ凄くいいな、やってみたい!からスタートして、自分自身でもドン引くくらい何これ……というものが大半最初にできあがり、落ち込むターンが必ずと言っていいほど入ります。
そしてそこからやけになり、その時に自分が納得のいくある一定のラインまでとにかく試行錯誤して完成させて、達成感を得ます。
でも特別な才能というか、生まれもったセンスでもない限り、そんな付け焼き刃で作り出したものは、どれだけその時やりきった!と思っても、少し時間がたってから見ると、なんだこれ?と、よく恥ずかしくなります。なんでこんなものを自信満々に……?と恥ずかしくて仕方なくなるのです。
多分、いや、ほぼ確実に、完璧主義なところがあります。でも勿論、これは私にはできない分野だ、といままでの人生で諦めがついたことはいくつもあるし、全てにおいて、というわけではありません。
なんだろう、自分がやりたいと思ったことに対して、出来ないという状況が凄くストレスになるというか、何かできる人でありたい、存在価値が欲しい、みたいな常になにものかになりたい欲が自分の中にあるのかな。流石に年齢と共にそういう衝動は落ち着いては来てるんですけど、いまだに自分自身の完璧主義に苦しめられているし、これ一生の付き合いになるのかなあと思ってはげんなりすることが多大にあります。
おそらく、ですが、これ自分に自信がない、自己肯定感が著しく低いからこそくる「なにか出来る人でいたい」ていう願望なのかもしれないなあ、と思いました。
役にたつ、価値のある存在でいたいと勝手に思ってしまうのです。もちろんともだちたちが私に"価値"があるからという基準で一緒にいてくれる、などとは思ってないんですが……なんだろう、そうだな、誰かにとって"価値"がある存在でいることで、自分は存在していいんだっていう定義が欲しいのかもしれない。
でも存在してもいい定義なんてあやふやな、輪郭をもたないことを求めてやまなくても、確実な答えを得られる日は今のところないと思ってます。いつか、これだ!って、自分が納得できるものが見つかったらいいな。見つからないまま一生を終える可能性もあるけれど、そのときは探し続けた自分のことを認めてあげたいなあと思います。
ないものねだりの毎日、そしていらんことを考えてぐるぐるするのってわたしは真夜中がおおいので、タイトルはそういう今でした。
ちゃんちゃん。
ほなね!
(ほなね、で締められるの大阪の人の特権でいいな!的な感想レターをおともだちからいただいたので、積極的に使っていきます)