岩波文庫の『茨木のり子詩集』を読んでいた。
これは生前交流があったこととネームバリューとで谷川俊太郎選となっているんだと思う。
冒頭の文章で谷川俊太郎は詩の内容に対して「この部分は無い方がいい」とかを直接茨城のり子に言ったとか書いているけど、そんなことしたらただの優れた詩になってしまうやん。そんなもんは他の人が書いてる。
好きじゃないけど有名だからしょうがなく入れた詩もある(当然そんな言い方はしてないけどそう読めてしまった)とかも言ってるし。うっせーわ。
冒頭にそんな文章があるためかこの文庫本は何かいまいち好きになりきれない感じがあった。ついでに谷川俊太郎も。
でも最後に小池昌代さんの「水音たかく ー 解説に代えて」があり、それがとても良くて救われる。この「解説に代えて」が無ければブックオフ行きだったかもしれん。
「解説」じゃないところがポイントで、その文章の中に谷川俊太郎選から漏れた詩にガンガン言及していく。解説だったらそんなことできない。全然このセレクトに納得いってないのがビシビシ伝わってくる。愛ですよ愛。
この方にセレクトしてほしかったな。
で、この解説を読んでると当然ここに掲載されていない詩が読みたくなってくる。特に死後出版された『歳月』がどうしても読みたい。
バラバラと個別に揃えるより一気にいったれ!ということで買いました。『茨木のり子全詩集』。ここにしか掲載されていない詩も101篇ある。
最高でした。恥ずかしいので死んでから発表してと伝えていたという亡くなった旦那さんへの思いを綴ったラブレターのような『歳月』。
生前発表された詩と違いフッと力が抜けた優しい表情。声に出して読んでいたら込み上げてきて声が詰まる。
自身が『詩のこころを読む』という本の中で「言葉が離陸の瞬間を持っていないものは、詩とは言えません」と言っているように、茨木のり子の詩の多くは最終連で突然転調しイメージを飛翔させていく。
有名な詩「寄りかからず」ではできあいの思想や宗教、学問等に寄りかかりたくない、と続けて、最終連で「寄りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ」と言う。
この詩はよく前半部分にフォーカスが当てられて「強く生きる」ことへの励ましのような印象を語られているけど、『歳月』を読んだらガラッと印象が変わった。
この中に収められている(そして岩波文庫版には収められていない)「椅子」という詩で亡くなった旦那さんとのエピソードが語られる。そうか、寄りかかりたかったのは背もたれじゃなくて、そこに残る旦那さんの思い出であり体温だったんだ。寄りかかる瞬間の無重力になるようなその快感。そこにこそ意味があった。
生前の詩集を受けて最後の詩集『歳月』での転調。茨木のり子の詩は死を持ってフラクタルとなって閉じられた。全詩集を読んで良かった。