前もどこかに書いたけど、自分のセクシュアリティと愛好するフィクションのセクシュアリティ傾向が違っているの、その人がヘテロだったら「ただのよくいるオタク」なのに、セクマイが自分と同じアイデンティティのフィクションを愛好してないと、おかしいだとか、そのアイデンティティがニセモノみたいに言われるの、すごーくすごくすごくイヤだ。
私はレズビアンだが、百合やレズビアンもののフィクションをそんなに摂取していない。それはただの趣味の傾向なのに、そのことを後ろめたくさせられるような空気があるのが、とてもイヤだ。おれが誰かに「あんたはヘテロなのにヘテロ・フィクションにハマってないなんておかしい」なんて言ったら大問題じゃん。でもこっちは平気で言われるんだ。
だからってんでもないけど、チャック・パラニューク先生の小説が好きだ。先生はオープンリーゲイの作家だが、作品を読むにかなりの男女カプ萌え者に見える。いいじゃん、それで。『サバイバー』がゲイ・ロマンスじゃないのはおかしいなんて誰も言わんし、言っちゃだめでしょ。