最近『蜜のながれ』という150枚くらいの短編を書いた(河出書房新社『文藝』2024年春季号掲載)。一人称の小説で、その主人公は24時間365日、頭の中が複数のタイムラインで同時に読み上げられるテキストや画像映像音楽で埋め尽くされているという設定になっている。常にデュアルモニターを目の前にしながら周りを5台くらいのラジオとスマホで囲まれているような状態のひとだ。そういう人の頭の中身をなるべくそのまま垂れ流すように書いた。
この「状態」はほぼそのまま私の「状態」である。もしかすると「症状」なのかもしれないけれど、これに関して診断を受けたことがないので、それはまだ分からない。
わりといい年になるまで、他の人が「こう」ではないのを知らなかった。みんなこうだと思っていた。今も正直信じられない。想像ができない。頭の中で常時テキストが鳴っていない? そんなことありえるんだろうか。何も考えないで生活してるってこと? そうではない? 意味わかんねー! 流れるけど1音声だけという人はけっこういるらしい。
頭の中に何も鳴っていないってどういう状態なのだろう。一度経験してみたいが、なんとなくそれは「彼岸」みたいなものなんじゃないかと思ってしまい正直怖い。本当に想像ができない。
小説に書いたような状態プラス、常時けっこうな大音量で鳴り続けている耳鳴りもある。ホワイトノイズのような音。意識してるとそれが”聞こえて”しまってさすがにうるさいので、意識しないように意識する必要がある。ゆえに、ただ座って息してるだけでもけっこう忙しい。難儀である。